チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月10日
カム旅行記 その11 カンゼー>ダルツェンド
カムの魂のようなカンゼを後にし、一気に今まで辿って来た道を後戻りしてダルツェンドに向かう。12時間程で到着予定。あいにく天気は悪く、雪山は見えなかったが、バスの最前列を確保し、車窓の景色を楽しんだ。
以下、ダルツェンドまで、バスの中から撮った写真を紹介する。
最初の写真はカンゼからケサル湖へ抜ける道。来る時は雪がなかったが、帰りの峠は雪。
ダンゴ付近をカンゼ方面に向かう警察車両の列。10台ほど続いていた。
で、昨日書いた、カンゼで焼身した僧タシ・ツェリンの話で、まだ書いてなかったことを思い出した。
「ある人は言う、『デモなんかやらなくても、その内待ってれば、自然に自由はやって来る』と。こうしてもうすでに50年以上、頭を下げて過ごして来た。法王もお年だ、ここで何かやらないともう手遅れになる。みんな心には、何かやらなければと思っているが、実際に行動する人は本当に少ない。それは家族のことを考えたり、生活が中国に依っている人が多いからだ」と。
タウの街に入る前に居眠りしてた。ふと目を覚ますと、目の前に公安の装甲車がいた。すぐに写真を撮ろうとしたが、間に合わなかった。隣の若いのが「この前に、武装警官の隊列が通ったよ。惜しかったね!」と。「で、お前撮ったのか?」。「いや~」。「ノンポリは働かんね…」。それ以来、できるだけ目を覚ましていることにした。
結局盾を構え、自動小銃をもった隊列は、一度も撮ることができなかった。
この村などは家の作りが比較的しっかりしているように感じた。ではあるが、周りのチベット人の普通の家が立派なものばかりなので、それに比べると、平屋で部屋数も少なそうな家々は祖末に見える。この辺の遊牧民は冬の家を持っていることが多いが、そのほうが余程立派で大きい。
「遊牧民定住村計画」の偉業!?を自画自賛する大きな看板。ラガンの手前で。
看板に書かれた(ふざけた)中国語を翻訳すると(uralungtaさん訳):「(伝統的移動牧畜をやめ)定住プロジェクトに応じることで1000年の時を跳躍した社会発展が実現する」「恩恵を受けたらその恩に感謝して報い(恩義を忘れてはならず)、末長く政治の安定した社会を共に建設すべし」。
チベット人遊牧民を強制的に定住させようという中国政府の政策は、10年ほど前から加速的に実行されつつある。特にカム、アムドの遊牧民地帯を中心に毎年数十万人が定住させられ、数年後にはすべての遊牧民を移住させ、チベットから遊牧民を絶滅させようとしている。もちろん、それに伴いヤーをはじめとする家畜も激減するであろう。
政府は「環境を守るため」だ。「遊牧により草原が荒らされる」と主張する。が、この「遊牧により草原が荒らされる」ということについては国連をはじめ、多くの国際的環境研究機関が「事実に反する」「嘘である」とし、この遊牧民の意思を無視した移住計画自体に反対している。
政府の本当の意図は「遊牧民の土地を取り上げ、鉱山開発等をやり易くすること」と「道路沿いにまとめて住まわせることで管理し易くすること」だ。
ゾンシャップ(新都橋)と折多峠の間にある遊牧民定住村。こちらの村の家はもっと小さい。
チベットの遊牧民の定住させられ方にも、いろいろあると聞く。完全に遊牧地と家畜を放棄させるタイプ。村全体で一定の牧草地と家畜を飼ってもいいというタイプ。それぞれの家庭が狭められ、柵を設けられた牧草地と家畜を飼ってもいいというタイプ。
遊牧民の方も:どうせ遊牧は止めたかったのだからとこれを歓迎する者。止めれば家と仕事が貰えると思って止めたが、騙されたと思う者。仕方ないとあきらめる者。仕事が無くなり、アル中になるもの。等々、いろいろらしい。
上の遊牧民村の家の1つ。まだ、人が住んでいるようにはみえない。
チベットの文化的基盤である遊牧という生活が無くなることはチベットが無くなることだ、と感じる人も多いであろう。とにかく、屠殺場に送られる家畜はニンジェである。
行きには近道をしたので通らなかったゾンシャップ(新都橋)付近。村の佇まいが実に美しい。
ゾンシャプの先(折多峠側)にあるミニャック・チュテン。薬師如来が祀られるというこの大きな仏塔は、先代のパンチェン・ラマ10世が再建したものという。様式が変わってる。
今回、数は数へなかったが、とにかく気になる、鉱物を満載し、チベットから中国に向かうトラック。もちろん、沢山みた。
載せられているのは銅鉱石と思われる。
行きには晴れてて眺めが素晴らしかった折多峠も帰りは雪。ヤーも寒そう。
峠を下り、ダルツェンドの谷に入るとまず目の前に忽然と現れるのが、この巨大な新開発都市(?)。数万人用と思われる、景色はいいが全く何もないところに計画された、金持ち用マンション・別荘地なのか?
他に金の使いようはないものか? 地方政府の不動産バブル計画の1つと思われた。
この新市街の中には立派な教会まである。しゃれた街には飾りとしての教会が必要と設計者が考えたのかも知れない。5つ星のホテルも有るという。その中でクリスマスには警官や役人たちが盛大なパーティーを開くのだと聞いた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)