チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月8日
カム旅行記 その9 カンゼ前編
ダンゴを後にいよいよカンゼに向かう。2008年以降、もちろんタウやダンゴでも何度も抗議デモが発生しているが、何と言っても一番多かったのはカンゼである。当ブログでもカンゼのニュースが一番多かったと思われる。が、私はこれまで一度もカンゼに行ったことがなかった、だらか「いよいよ」なのである。
写真はカンゼに向かう峠の手前にある、美しい「ケサル湖」。
湖の向こう側には、ブログで何度も紹介したツェワン・ドゥンドゥップの故郷がある。ツェワンは2008年の3月にこの湖の手前の町テホルで起ったデモに参加し、2発の銃弾を受けたまま、13ヶ月も山に隠り、生き抜いて、その後亡命したという人だ。詳しくは過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-08.html?p=2#20090808
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-08.html?p=2#20090810等参照。
カンゼの手前の峠から見えた険しい山。あいにく、この日から天気が崩れ、雪山(のピーク)に囲まれた美しいカンゼを見る事はできなかった。
ツェワンには偶然この旅に出る直前にデリー、マジュヌカティーラの道で出会った。彼はスピーチツアーに呼ばれアメリカのビザを申請しに来ていた。「今からカムに行くぞ」と言うと、「カンゼに行くか?行くなら是非俺の故郷に寄ってくれ。奇麗なとこだぞ。家族に会ってくれ」と言われた。故郷の村の場所を詳しく聞いたが、「行けるかどうか、約束はできない」と答えておいた。
確かに美しい場所であった。急いでいなければ是非寄ってみたいと思った。
峠を越え、カンゼ盆地に入った後、乗り合いタクシーの運ちゃんが左手の丘を示し、「穴が沢山開いてるのが見えるだろう。あれは中国の解放軍が攻めて来た時、チベット人と戦うために作った塹壕の跡さ」と説明した。
確かに入り口と銃窓がセットになった壁が壇上に続いている。丘の上には寺院が見える。
1958年のものなのか、それ以前のものなのかは分からなかったが、この辺りで戦闘が行われたことは確かなのだろう。どのような戦闘だったのか? 多くの人が死んだのだろうか?、、、とただ想像するばかりであった。
3時間ほどでカンゼの街に到着。バス停の近くのホテルに部屋を見つける。トイレ、シャワー共同で80元。ちと高いが部屋は広くて快適だった。
昼飯のために入ったチベット式レストランの中で亡命した後ネパールに住んでたという青年に出会う。2ヶ月の帰郷ビザというのを取って来ているのだという。彼が言うには「5日前にもこの近くの交差点で1人の若者が声を上げて抗議デモをやった。すぐ捕まったがね」という。彼も目撃した訳ではなく、それ以上詳しいことは知らなかった。インドに帰ってその頃のニュースをチェックしてみたが、それらしいニュースは伝わっていないようだった。内地で起るすべてのデモが外に伝わる訳ではないという例だな、と思った。
お堂の奥にはラマたちの写真が並んでいる。ちゃんと法王のお写真も加わっている。
僧院の手前にもう1つのマニ堂。こちらは新しく、仏像も新しい感じ。観音を真ん中に左に文殊、右に金剛手。
門を潜ると、長い急な階段が続いていた。階段の途中で出会った僧侶と話をする。彼はインドで勉強していたことがあるとのことで、ちゃんと話が通じた。早速、いろいろなことを聞いた。
続く。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)