チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年6月6日

ウーセル・ブログ「布教事件訴訟はどうやって勝訴できたのか?」

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5月2日付けウーセルさんブログ。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/05/blog-post.html

翻訳:yuntaitaiさん。

◎布教事件訴訟はどうやって勝訴できたのか?

_1写真説明……宋心寛事件について「ラサ公安局を訴えたキリスト教徒の行政訴訟は法廷外の和解が成立し、賠償を勝ち取った」と伝えた対華援助協会のウェブサイト。

 RFAは4月7日、「キリスト教徒の宋心寛がラサ公安局を相手取った訴訟で、法廷外の和解が成立した」と伝えた。この直前、「対華援助協会」のサイトに載っていた宋心寛の文章「チベット・ラサ、2011年国慶節の布教事件と家族について」を私の「民間蔵事」に転載したばかりだった(http://tibet.woeser.com/?p=32207)。

 これはもちろん、宗教の信徒が政権の迫害を受けた事件だ。2011年10月5日、河南省駐馬店市の家庭教会宣教師、宋心寛はラサでの布教活動により、「邪教組織」や「逃亡」の容疑で逮捕され、繰り返し警察の尋問と暴行に遭った。釈放後、北京のキリスト教徒で人権派の張凱弁護士を代理人として雇い、ラサ公安局を相手取って行政訴訟を起こした。4月5日、この訴訟は法廷外で和解が成立した。

 わざわざラサに行っていた張凱弁護士は微博に書き込んだ。「吉報だ。ラサの行政訴訟で今、ラサ市公安局は押収していた財産を返してくれただけでなく、関係する損失を賠償してくれた。誤りがあればすぐに改めるラサ市公安局のやり方を心から称賛したい。全国の公安組織はラサの公安に学ぶべきだ。このように問題を解決するのは法律にも党の政策にも合致する。ラサに神の祝福を」

 とても敏感で、宗教的な迫害が最も多く激しいラサという土地で、北京の人権派弁護士が宗教に関わる事件で勝利を収めることができた。これは確かに喜ばしい。恐らくチベット自治区の歴史で初めてだろう。チベット仏教に関わる事件ではないし、チベットに暮らす仏教徒としてのチベット人に関わる事件ではなかったとはいえども、だ。2008年、多くのチベット人が3月の抗議活動で逮捕された時、20人以上の中国の人権派弁護士が法律的な援助を提供したいと連名で声明を出した。だが、この声明を出したというだけで、署名していた全ての弁護士はチベット人を弁護してはならないと警告を受けた。弁護士資格を剥奪された者までいた。

 ラサで宗教的な迫害に遭ったものの、宋心寛はチベット人ではない。だから代理人の弁護士は当局のあの警告による制約を受ける必要はなく、ラサで訴訟を処理できた。しかし、ドキュメンタリー映画「恐怖を乗り越えて」を撮影して獄中につながれたドゥンドゥップ・ワンチェンの事件ではどうだったか。家族の依頼を受けた北京の李敦勇弁護士は2009年、河南省の常伯陽弁護士は2010年、西寧でこの事件を2回扱ったが、青海省の司法部門と北京司法局などの圧力を受け、手を引かざるを得なかった。北京の李方平弁護士は同じ頃、2008年抗議で逮捕されたラブラン僧院の僧侶ツゥルティム・ギャンツォとタプケ・ギャンツォの家族から依頼を受けていた。彼は事件処理で蘭州に2回行ったが、現地の裁判所に拒否され、警察当局の態度も極めて横暴だったため、あきらめるしかなかった。これ以前にも、北京の江天勇はチベット人の事件を扱って弁護士資格を失っている。そして全ての人権派弁護士はチベット人訴訟のためにはラサに入れないでいる。

 理屈で考えれば、チベット人であれ漢人であれ、今日の中国公民として、開かれた公正な司法審理を受ける権利を持っているはずだ。たとえ自称法治国家のイメージを実証するためだとしても、中国当局は当事者の権益を守るべきだ。その最も重要な権益の一つこそ、当事者と家族が自由に弁護士を雇えるということだ。もしこの最低限の権利さえ奪われるのなら、中国の法治は口先だけのうそに成り下がる。しかし遺憾なことに、当局は常に当事者が自ら依頼した弁護士の名義を使い、独立心あふれる弁護士を排除し、迫害を受けたチベット人僧俗が法律的な助けを受けられないようにしてきた。

 布教事件に関する宋心寛の説明(「対華援助協会」のウェブサイトでほかにも2篇読める。
http://www.chinaaid.net/2012/03/2011.html
http://www.chinaaid.net/2011/12/blog-post_09.html
)は、政治と宗教、民族、商業などが複雑に入り組んだ今日のチベットを研究できる典型的な例だ。私はツイッターでそう書いた。文中に出てくるこれらの言葉は特に研究の必要がある。

 例えば、「チベット・ラサ、2011年国慶節の布教事件と家族について」の冒頭で、宋心寛は米国のディザスター映画「2012」や近年のさまざまな天災、人災の発生を挙げることで、ムスリムの礼拝やチベット人仏教徒の巡礼を説明し、こう書いている。「『2012』は暗示か警告だったようだ。インドに亡命したダライ・ラマも落ち着いていられなくなったのだろう。だから、チベット全土は2008年の3・14事件以来やや安定していたというのに、2011年になってまた必死になってきた。チベットのカム地方では、一部の不法な僧侶がなんと法輪功と同じ焼身事件を起こしているという」。

 政権の迫害を受けたキリスト教徒でありながら、宋心寛はほかの宗教、特にチベットの宗教上の指導者ダライ・ラマに軽蔑を向け、宗教的迫害に焼身で抗議したチベット人僧侶を「不法」ととがめる。彼と迫害者の恐るべき共通点には驚かされる。同時に、こうした考え方を持ってチベットで布教するキリスト教徒についても、大いに疑問を抱かされる。

 宋心寛は3篇の文章で、ラサで警察に拘束、尋問、暴行された経緯を詳しく述べて強調する。「このチベット族警官たちは極端な民族主義者なのだと私は考えていた」「彼ら国保(国内安全保衛支隊)のチベット族警官は支隊に紛れ込んだ『チベット独立分子』かそれ以上の存在に違いない。そうでなければ、彼らはなぜ国外の独立分子と同じ口調で『キリスト教はラサで存在、発展してはいけない』と言い立てるのか?ラサはチベット仏教が天下統一した浄土なのか?」

 私の分析は次のようなものだ。「チベット族警官たち」を「極端な民族主義者」「チベット独立分子」だと非難し、「反分裂」に従事する国保の警官に「反分裂」のやり方で対応したことにより、宋心寛の事件は最終的に法廷外で和解が成立したのではないか?「チベット独立分子」の名目でチベット人僧俗を迫害する国保の警官たちであっても、他人から「チベット独立分子」と非難されるのを恐れているのではないか?非難が全く事実ではないとしても、これによってもたらされる負の影響が彼らの仕事を奪えることをよく分かっているのではないか?そうでなければ、なぜ宋心寛はこう書けるのだろう?「やはり張凱先生の提案に従い、いったん後退すると最終的に決めた。そうでなければ、直接彼らに対抗することになり、キリスト教をいわゆる極端な民族主義的『チベット独立』の範疇に巻き込んでしまうのではないか。それは割りに合わないだろう」

 もし上に書いた通りだとすれば、被害者が取ったのは、加害者のやり方で加害者に対応する、言い換えるならば、加害者のやり方で加害者に報復する「目には目を、歯には歯を」のやり方だ。勝利を収めたが、とても意味深長だ。法律に則って進められたこの訴訟で、被害者は二つの身分を兼ね備えていた。宗教面ではこの政権の被害者であり、政治面では逆に政権の受益者だった。そして、ラサという様々な利害関係が絡み合う複雑な土地で、被害者と加害者は最終的に奇妙とも言える和解を手にした。

 だから、張凱弁護士の裁判書類をぜひ見てみたいと思う。どんなやり方で法廷外の和解を勝ち取ったのか、ぜひ知りたいと思う。私はラサのチベット人として、「全国の公安組織はラサの公安に学ぶべきだ」という張凱弁護士の言葉には全く同意しない。こんなことをすれば本当に暗闇と化してしまうのだから。

 2012年4月

(RFA特約評論)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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