チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月2日
カム旅行記 その7 ダンゴ前編
次の日、タウを発ちダンゴに向かうために乗り合いミニバンを探す。タウ行きはすぐ見つかったが、同乗者がなかなか見つからない。暇潰しに若いのが近くにあったビリヤード場でチベット人に混じりゲームを始める。親も加わり何度かゲーム。もちろんTCVで相当鍛えてた若いのには勝てない。ちなみに1ゲーム1元。負けた者が払うのがしきたり。
2時間ほど待っても人が集まらない、運ちゃんが「普通は1人40元だが、人が集まらない。1人100元で行かないか?」と言い出す。すぐにはOKしなかったものの、数十分後にはOKと言う。いざ出発しようとすると車には続々人が乗って来た。「これだと、1人40元だな」と思う。が、これが後で問題となった。
道はニャクチュ(雅龍河、長江上流)の支流鮮水河(チベット名不詳)沿いの谷を遡る。両側には美しい村々が点在し、のどかな風景が続く。
村の家々も一様に大きく立派だ。畑は少なく、家畜も多いようには見受けられない。何で生計たててこんな大きな家が建てられるのだろう?とちょっと不思議に思ったりした。冬虫夏草とか???
大きな柱をこれでもかと林立させた、総木作りの家。日本なら縄文的と形容できそうなたたずまい。これだけ立派だと役人の家かな?と思ったりする。
車のバックミラーはビデオ画面にもなる仕組み。
驚いたことに、そこに法王が突然出現し、仏教法話の一節が流された。
その前に流れていた歌もシェルテンの歌だったりして、大丈夫かな?とちと心配になるぐらいだった。
みんな平気で(喜んで)聞いてるらしかった。
3時間ほどしてダンゴの街に着く。
黙って2人分の80元を渡そうとした、が、運ちゃんは何か言い始め受け取ろうとしない。足りないということらしい。「乗り合いなら1人40元と言ったではないか?他に5人も乗ってた。だから1人40元だろ」と言う。運ちゃんは「1人100元なら行くというから出発したのだ。だから2人分の200元払え」と言ってるらしい。「何言ってんの!そんなの払えねえ!」と、こちらも譲らない。その内運ちゃんが強引に一旦下ろした我々の荷物を再び車に載せようとする。それを阻止してたりしてると、周りにチベット人が数人集まって来る。
その中の長老風のチベット人が仲裁に入ろうとする。もっとも、とにかく現地チベット語は訛が強すぎてほとんど何を言ってるのか分からない。だが、どうも「お前たちも運ちゃんもチベット人同士ではないか。争うのはよそう。ここは何とか丸く納めて、多めに払ってはどうか?」と言ってるらしいと分かる。「チベット人同士じゃないか」を何度も繰り返す。(この言葉ににやりとなり)私はこりゃ、「150元ぐらいで手を打つしかないか?」と思ってたが、若いのはなかなかウンと言わない。その内、他の者も仲裁に入るが言葉は分からない。「こいつらラサから来たみたいだな?どうも話が分かってないらしい」と言ってるらしいのは分かった。
相当粘った挙げ句、結局「150元」ということで手を打つことになった。
傍の奇麗そうなホテルに部屋を見つける。2人部屋シャワー、トイレ付きで100元。
すぐに街にでる。
この街では最近大きな抗議デモが発生し、犠牲者が出ている。今年、この街で起ったことはこれまでに何度もこのブログで報告している。デモが起った場所はこの写真に写ってる街の中心である三叉路付近だった。
ざっとおさらいすると:中国の旧正月に当たる今年1月23日、ダンゴ中心街で大規模な抗議デモが発生した。この数日前に街には焼身抗議を予告する張り紙が現れ、「遺体が当局に奪われないようにしてほしい」と書かれていた。
この張り紙を発見した当局はすぐに数百人を拘束した。街のチベット人たちはこの拘束に抗議すると共に、もしも焼身抗議が行われた時にはその者を救おうと1月23日に街の中心街に集まった。その内数百人が「チベットに自由を!」等のスローガンを叫びながら行進を始めた。行進が公安事務所の前にさしかかったとき、公安は自動小銃を使ってデモ隊に向け発砲した。この無差別発砲により、その場で2人(ユンテンとロギャの息子)が死亡し、数十人が重軽傷を負った。その後もデモは続けられ最終的には5000人が参加したとも言われている。参照過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-01.html#20120124 等。
32人と言われる負傷者は直ぐにダンゴ僧院内に運び込まれた。参照過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-02.html?p=3#20120201
その後、負傷者やその他デモに参加したものたちは当局の逮捕を恐れ、山に逃げ、隠れた。
2月9日には、山に逃げていた兄弟である僧イシェ・リクセルとイシェ・サムドゥップが発見されその場で射殺された。参考過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-02.html?p=2#20120210
同時に彼らの家族も撃たれ、母親はその後撃たれた片腕を切断することになった。
当局はデモ参加者の逮捕を続け、拘束されたものは数百人に登るという。4月に入り拘束者の内、今までに判明しているだけでも23人に刑期が言い渡された。刑期は10年以上の者が多く、内1人は無期懲役である。参照ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-04.html#20120428
また、最近デモ発生後成都に逃れていたと思われるトゥルクを含む4人が拘束され行方不明となっていることも判明した。このうちの1人は私の嘗てのクラスメートである。参照ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-05.html?p=2#20120503
また、数日前伝えられた報告によれば、デモ参加者として2月9日に拘束されていた、ダンゴ僧院僧侶ツェリン・ギェルツェンが拷問の末、カンゼの病院内で死亡していたことが判明した。結局遺体は家族に引き渡されなかったという。
参照>5月31日付けRFAチベット語版(彼の写真あり)http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/china-beats-ven-tsering-gyaltsen-death-05312012160529.html
6月1日付けTibet Net英語版http://tibet.net/2012/06/01/monk-from-dragko-monastery-succumbs-to-injuries/
と、このように最近様々な激しい弾圧の場となった、ダンゴである。街には至る所に公安の車が停まっていた。
続く。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)