チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年6月1日

ラサとザムタン 焼身抗議続報

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_DSC6296写真は昨夕、ダラムサラで行われたリキョの死を悼み、中国に抗議するために地区女性協会主催で行われたキャンドル・ライト・ヴィジルより。

リキョの葬儀に5000人

ヴィジルの集会でチョナン福祉協会会長のツァンヤン・ギャンツォがンガバ州ザムタンで5月30日に
焼身抗議を行い、死亡した遊牧民女性リキュの葬儀や人柄について報告した。

「大きな炎が上がり、人々が集まったが、チベット人たちはなす術もなく、法王を呼び出すために喚起のお経を唱えたりするばかりだった。その内、保安部隊が出動し、火を消したが、彼女はすでに死亡していた。部隊が彼女の遺体を運ぼうとしたが、大勢のチベット人が集まり、これを阻止し、僧院に運び込んだ」という。

_DSC6330「チョナン・ゴンチェン僧院には1000人ほどの僧侶、尼僧が集まり、直ちにポアの儀式を行い、追悼会を行った。当局は『その日の内に葬儀を行わない場合には、遺体を奪いに行く』と脅した。仕方なくその日の夜11時頃より僧院近くの葬儀場で葬儀が行われた。折しも、強い雨が降り続いていたが、それにも関わらず、5000人以上の僧侶、尼僧、地域チベット人が葬儀に参加し、夜中の3時まで読経を続けた」とツァンヤンは続ける。

「リキュは遊牧民であり、豊かではなかったが、それでも普段から貧しい者たちを助けようとする優しい性格だったという。焼身の2日前から僧院への参詣と五体投地を繰り返していた。その日も家畜の世話をした後、家族には『僧院に出かける』と言い残し、チョナン僧院に向かった」とツァンヤンは報告する。

_DSC6259なお、彼によれば、最初彼女の年齢は33歳と伝えられたが、その後36歳と判明したとのこと。

ザムタン一帯に警備隊が増強され、バルマ郷を中心に緊張が高まっているという。

参考:5月31日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/six-tibetan-women-self-immolated-till-today-05312012162008.html
31日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6107
31日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/honor-05312012113720.html

_DSC6391ラサでは焼身後600人以上が拘束

以下、30日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/detained-05302012172121.html 及び今日付けのダラムサラ・キルティ僧院リリースより。

27日にジョカン寺前でアムド、サンチュ県出身のドルジェ・ツェテン(19)とアムド、ンガバ県出身のダルギェ(25)が焼身抗議を行った後、ラサ当局は現場の写真を撮ったと疑われる者やアムド、カム出身者を中心に一斉検挙を行った。

27日と28日には現場の写真を撮ったと疑われた約80人がグツァとティサム拘置所に連行され、徹底的に検査された。

その他30日までにアムドやカム出身者を中心に600人以上のチベット人が拘束されツェル・グンタン拘置所に送られた。また、多くのものたちがラサを追い出され、アムドやカムに強制送還された。

27日、現場近くにいたと思われる外人旅行者たちも、直ちにそれぞれのホテルに返され、ホテルでカメラ等のチェックが行われた。

サカダワにも関わらず、パルコルからはチベット人が消えた。一方、パルコルの商店は店を閉める事を禁止され、閉めた者は営業停止処分にすると言い渡された。

_DSC6370ダラムサラ・キルティ僧院のリリースによれば、焼身したンガバ出身のダルギェは幼少時、ンガバ・キルティ僧院の僧侶となり、数年前還俗した元僧侶という。

彼は還俗した後、ラサに出て、同郷のチュケル・ツァンが経営するレストランで働き始めた。事件の後チュケル・ツァンとその妻や従業員は当局により拘束され、今も解放されていないという。

事件の後、アムド、ンガバ出身のチベット人たちは以前にも増して特に目を付けられ、ラサ滞在許可証を持たない多くの者たちが拘置所に送られたという。また、27日にはチベット服を着てるというだけで連行された者も沢山いたという。

チベット自治区当局は事件の後、外国人の自治区入域を全面的に禁止した。これがいつまで続くかは分からないが、来週始めに「チベット入域に関する会議が行われる」と言われている。

VOTによれば、当局は自治区だけでなく、カムやアムドへの外国人入域も禁止することを考慮中と伝える。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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