チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年5月26日
カム旅行記 その2 ダルツェンド
ダルツェド(ダルツェンド、ダルド、康定、カンディン)は現在四川省の一部となっているカム、カンゼチベット族自治州の州都である。街の人口は約11万。川の流れる雪山に囲まれた狭い谷間にビルが立ち並ぶ。元々(1950年以前)はチベット人の街だったはずだが、今では街はすっかり中国化されチベットの風情はほぼ全く感じられない。それでも人口の半分ぐらいはチベット人のはずだが、チベット服を着る人も少なく判別は難しい。
古くからチベットと中国のお茶等の交易の中心地として栄えていたという。標高は2500mでまだチベットの空気感もない。
が、街を見下ろす崖の岩にはチベット語のマントラ、グルリンポチェやターラ菩薩の像が彫られている。
バス停に到着すると元気のいいチベットのお兄さんたちが一斉にたかって来た。中国語で話掛けて来るので、「ギャケ・ハコギメ、プケ・ギャータン(中国語は分かんない。チベット語で話してくれ)」というと、何となくチベット語と思われる言葉を話始める者もいたが、このチベット語がよくわからない。その中でカンゼ出身という、最後までしつこく食い下がって来た、とびきり明るく元気のいいお兄ちゃんに引っかかってやり、彼が連れ込む宿をのぞいた。
中国人の若いお姉ちゃんがやってる宿で一泊100元。熱いシャワーが出て清潔そうだったのでそこに決める。
街をふらつき、街を見下ろす丘に登ろうとロープーウエイ乗り場を探す。バス停とは反対側の街の終わり辺りにロープーウエイ乗り場を見つけた。が、値段を見ると何と往復50元と書いてある。これは破格に高いではないか!と息子が歩いて登ろうと言い出す。丘は数百メートルあり歩くにはしんどそうだし、時間も夕方。悩んだあげく「雪山が見えるはずだ」ということで乗る事に決定。2人乗りの小さなゴンドラ。高所恐怖症気味の息子は少しびびる。
時間が遅いからか、値段が高いからか、ゴンドラは空ばかり。唯一すれ違ったチベット人カップル?
途中で見つけた、ダラムサラにもいる奇麗な野鳥「Scarlet Minivet (Pericrocotus flammeus)」のオス。日本名はヒイロサンショウクイ。メスは鮮やかは黄色。常に番いかグループで飛んでおり、この時もメスもいた、が写真の写りが悪すぎるので割愛。
ロープーウエイを降りた先にチベットの寺が見えたが、その前にまたゲートがあり、この先に行きたければさらに70元払えと来た。またしても大金!「もういいぜ、中国当局にこれ以上金は払わねえ!」と、柵をちょっと超えた見晴らし台から南側に見えた雪山を撮影。
ミニアコンガ山系のはず。あいにく空気が霞んでおり主峰のミニアコンガは見えなかった。
帰りにしっかり近くに行ったので、写真はその時たっぷり紹介する。
丘を降り、丘(ほう馬山)の上からよく見えた立派なチベット僧院を訪問する。門には中国語で「南無寺」と書いてあったが、チベット名は「ラモ・ツェリン・ゴンパというゲルク派の僧院。
中庭ではこれからチュラ(問答)が行われるらしく、教本を手にした僧侶たちがあつまり始めていた。
僧侶は300人ほどとのこと。すっかり中国化された街のほとりで、しっかり仏教の勉強に励んでいる僧侶たちをみて頼もしく思ったものだ。
僧院が立派なのは成功したチベット商人たちが寄付しているからだろうと思われた。
僧院下で見かけたドッキ(チベタンマスティフ)草原ではなく家に飼われてるやつだが、うなり声だけはちゃんと迫力があった。
「お、スターバックスがあるぜ!」と思いきや、よく見ると「STORBUCKS COFFEE」。やるよね、中国。stolenはお家芸。
夜になると、川沿いはまるでパチンコ屋のような動的照明に輝く。
写真左端には、またしても武警車両が停まっているのが写ってしまった。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)