チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年5月5日
キルティ僧院創立600周年記念式典
今日は朝からダラムサラ・キルティ僧院で「キルティ僧院創立600周年記念式典」が行われた。
写真は今日の主賓であるゲルク派のトップ、第102代ガンデン・ティパ、リゾン・リンポチェを僧院に迎え入れるところ。
ガンデン・ティパはゲルク派の創始者ジェ・ツォンカパの名代である。ゲルク派的にはダライ・ラマ法王より位が高い。ゲルク派の場合はそのトップの資格は家柄等には全く関係なく、唯一その学識と人格の高さによりその地位を得る。もちろん、先代がお亡くなりになった後にと言う事なので、長生きも条件の一つと言えるかも知れないが。
ンガバのキルティ僧院で焼身抗議が続いたが故にキルティ僧院の名は世界的に有名となった。キルティ僧院の創建は今から600年前の1412年という。ジェ・ツォンカパの愛弟子の1人であった、第一世キルティ・リンポチェ、ロンチェン・ゲンドゥン・ギェルツェン師はジェ・ツァンカパによりアムド地方に布教活動を行うために送り出されたという。ジェ・ツァンカパから「かくかくしかじかの特徴を具えた、アムドの土地にたどり着いたら、そこに僧院を設けよ」という指示を受け、アムドに旅立ち、今のンガバ州内のカラリという土地に最初の瞑想堂を作ったと言われている。<今日、僧カニャック・ツェリンから聞いた話。
キルティ僧院はアムド全域10カ所ほどに分院を持ち、その他強いつながりを持つ僧院が他にも10ほどある。アムドで一番勢力のあるゲルク派の僧院なのだ。これが当局の弾圧のターゲットとなる大きな要因ともなっている。また、現在のキルティ・リンポチェがダラムサラに在住しダライ・ラマ法王とも特に近い関係にあることや、亡命政府の宗教・文化大臣を歴任したことがあるということも弾圧の原因の一つと思われている。キルティの僧侶たちはリンポチェ初めダライ・ラマ法王への忠誠心が特に強いというわけだ。
つい最近ニューヨークの国連前で無期限ハンストを行われていたシンサ・リンポチェ。今日の会の主賓の1人。アムドを代表するリンポチェの1人。一ヶ月に及ぶハンストを耐えたあとも見せず、もうすっかり回復されているようにお見受けした。
シンサ・リンポチェはハンスト以前から政治的活動家としても有名である。
リンポチェたちをお迎えするアムドの女性たち。今日はダラムサラに住むアムド人集会のようでもあった。アムド出身の主立った住民はすべて出席していた。アムド衣装を競うが如しの女性も沢山見かけた。
キルティ・リンポチェとガンデン・ティパが長~いスピーチを行われたらしいが、その間、私は他の用事があり退席しており、内容は聞いていない。焼身の話は出なかったということは確からしい。
午後からはガンデン・ティパを前に「ダムチャ(仏教哲学論争会)」。
普段はンガバからの焼身等の情報を流す事に忙しい、僧ロプサン・イシェと僧カニャック・ツェリンも今日はダムチャに積極参加。頭も切れる事を証明していた。先頭で手を振り下ろした後、低い姿勢になっているのが情報係の僧ロプサン・イシェ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)