チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年5月3日
ダンゴ抗議デモ後に成都で拘束されたトゥルクを含む4人の僧侶行方不明
トゥルク・ロプサン・テンジン・リンポチェ
この内の1人は私のツェンニー・タツァン(ダラムサラ、仏教論理大学 Institute of Buddhist Dialectics)時代の友人、クラスメートであり、特別に心配している。
カム、ダンゴでは1月23日に大規模な抗議デモが発生し、治安部隊がデモ参加者に向かって無差別発砲を行ったため、少なくとも2人が死亡し30人以上が負傷した。されに、負傷した後、当局の逮捕を恐れ、山に逃げていたチベット人の内2人の兄弟が射殺された。デモ参加者の逮捕は続き、一時は数百人が拘束されたと言われる。現地と連絡を取ったツェンニー・タツァンによれば、すでにこの内30人に刑期が言い渡されたという。
亡命政府公式ウェブサイトTibet Netその他によれば、この抗議デモの後すぐに四川省の成都に逃れていたと思われる4人のダンゴ(・ゴンチェン)僧院の高僧が、デモの数日後に成都で拘束され、そのまま3ヶ月以上たった今も行方不明という。現地の人々は「その内の1人がすでに殺された」とか、「デモに関係したとされた他の人々はすでに刑期を受けたのに、彼らの名前が上がっていないのはおかしい。すでに全員殺されたのではないか?」と噂しているという。
成都で1月26日か27日に拘束・逮捕されたとされるダンゴ僧院の4人の僧侶の名はトゥルク・ロプサン・テンジン・リンポチェ(40代)、教師ゲシェ・ツェワン・ナムギェル(42)、財務係ティンレ-(42)、秘書係タシ・トプギェル(別名ダル・ラ、31)。
トゥルク・ロプサン・テンジン・リンポチェはダンゴ、ペメガン出身、幼少時セルタのラルン・ガル僧院に所属した。その後ダンゴ・ゴチェン僧院のトゥルクと認定された。その後、僧院の多くの建物を増築するのに尽力したという。
私の友人、ゲシェ・ツェワン・ナムギェルはダンゴ、チュバル出身。最初普通の小学校、中学に通った後、1987年インドに亡命し南インドのデブン・ロセリンで僧侶となり、仏教の勉強を始める。1994年からダラムサラのツェンニー・タツァン(仏教論理大学)に移り、ここですべての学業階梯を終了し、リメ・ゲシェ(無宗派ゲシェ)の試験に合格した。その後、ロセリン学堂に戻り一般ゲシェの学位も得た。2011年、故郷のダンゴに帰りダンゴ僧院で教師となっていた。
私は彼とはクラスメートであり、ツェンニー・タツァンに通っていた6年間毎日会っていた。彼は最初から学業に優れ、クラスでも常にトップの1人であった。体格もよく、ちょっと怖い感じもある、堂々としたチベット人だった。もちろんいつもジョークを飛ばし、明るく楽しい性格だった。クラスには他にもダンゴ出身の僧侶が何人かいて、みんな優秀だった。その内、知ってるだけでも3人がゲシェとなり、故郷に帰ったはずだ。他の2人も拘束された可能性があり、非常に心配している。
ティンレーはダンゴ、バダク出身。ダンゴ僧院で僧侶となり、数年前から僧院の財務係となっていた。
タシ・トプギェル(ダル・ラ)はダンゴ、ゴンサル出身。小、中学に通った後、2000年からダンゴ僧院僧侶。
参照:4月30日付けTibet Net チベット語版http://bod.asia/2012/04/དགེ་འདུན་པ་བཞི་གར་སོང་/
5月1日付けTibet Net 英語版 http://tibet.net/2012/05/01/four-tibetan-monks-arrested-and-missing-ever-since/
5月1日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/a-tibetan-detained-in-kardze-county-and-4-monks-of-draggo-are-still-unaccounted-05012012220517.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)