チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年4月18日

ンガバから焼身抗議の<貴重衝撃ビデオ>が届く

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6d5c9f91ロプサン・ジャミヤン

危険を顧みず撮影され、秘密裏に国外に持ち出された貴重な焼身抗議のビデオが、約3ヶ月かかって亡命側に届き、支援団体により公開された。

45秒のビデオには、1月14日にンガバ・キルティ僧院近くで焼身したロプサン・ジャミヤン(
22)の劇的な焼身シーンが写っている。一旦、消化器により消された火が再び燃え上がり、彼が躍り上がる。部隊が彼を倒し、消化剤をかけるとともに殴りかかる。周りに集まったチベット人たちは、祈りと抗議の声を上げる。集まったチベット人たちに向かい発砲する銃声も聞こえる。ビデオには写っていないが、この後大きな抗議デモが起こり、これに対し部隊が暴力的弾圧を行い、多くの負傷者がでている。

速報で知らせた過去ブログ>>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-01.html?p=2#20120114

以下、ICT(International Campaign for Tibet)が、関係証言も加え詳しいビデオの解説を行っているので、これを紹介する。

・映像の始め、左端に建物の角が写っている。映像の中には写っていないが、この建物の2つ向こうにはキルティ僧院付属の建物がある。その建物一階にあるトイレの中でロプサン・ジャミヤンは灯油を被り、火を付け、通りに飛び出したのだ。

・0:02辺りで道路上に白い部分が見えるが、これは部隊がロプサン・ジャミヤンの炎を消した時の跡だ。映像が始まった時点では炎は消えているように見える。武装警官隊が倒れた彼の周りに集まり、チベット人も集まっている。

・0:03~0:04、左手から現れた武装警官が振り向き、走って来た方向に向かって何かを発砲する音が聞こえる。亡命側専門家のコメントによれば、これは催涙弾と思われ、映像には写っていない左手に集まる群衆に向かい発射されたものではないかという。このビデオには含まれていないが、この後、部隊は抗議する群衆に向かって実弾を発射したという証言がある。

・0:10辺り。倒れ、部隊とチベット人に囲まれていたロプサン・ジャミヤンの体から再び大きな炎が上がり、同時に彼は立ち上がり、まるで炎に包まれ飛翔する護法尊のように飛び跳ねる。炎の強さに驚き部隊やチベット人が離れ、輪が広がる。チベット人たちは泣き叫ぶ。どのようにして、再び火が上がったのか確かではない。亡命側のチベット人は、「彼は伝統的なチベットの衣装であるチュバを着ているようにみえる。襟は油をよく吸収し、燃えやすいアクリルやフリースと思われる。また、油を飲んでいたことも考えられる。火は完全に消えておらず再び燃え上がったのだろう」という。

・0:11、右手から、常時ンガバの街中を消化器と銃を持ち警備する武装警官と特殊警官が集まるのが見える。

・0:17の前。1人の警官が手押し車を使い、炎に包まれるロプサン・ジャミヤンを倒す。倒れた後左右から警官が彼を蹴っているのが分かる。間もなく再び火が消される。

・0:35の前。1人のチベット人が祈る声が聞こえる。「ギャワ・テンジン・ギャツォ!ギェルチェン・ドルジェ・ハルツァル!」。テンジン・ギャツォはダライ・ラマ法王のこと、ドルジェ・ハルツァルはキルティ僧院の護法尊であり、ンガバの住民の多くがこの仏神を礼拝する。ダラムサラ・キルティ僧院の報告によれば、ロプサン・ジャミヤンは炎に包まれながら、「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットに自由を!」と叫んだという。

・ビデオが突然終わる直前に、周りに集まっていたチベット人たちが、警官たちがロプサンに暴力を振るったことに怒り、彼が連れて行かれるのを阻止しようとするシーンが写っている。彼がその場で死亡したのかどうかは不明である。

ダラムサラ・キルティ僧院の僧カニャク・ツェリンと僧ロプサン・イシェがICTに報告するところによれば、「ロプサン・ジャミヤンに対する警官の振る舞いに耐えきれず、集まっていたチベット人たちは身の危険も顧みず、彼を引き渡すよう要求し、彼が運び去られるのをできるかぎり妨害した」

Baton1中国の武装警官たちが使うスパイク付き鉄製こん棒

これに対し、部隊はチベット人たちを殴り倒し、発砲し、拘束した。スパイクの付いたこん棒により殴られ1人の盲目のチベット人女性が倒れ、他にも大勢が負傷したと言われるが、詳しい状況は分かっていない。

亡命側にいるロプサン・ジャミヤンの親戚が語るところによれば。ロプサン・ジャミヤンの家族の下に警官が現れ、「警官の服が燃えたので、賠償せよ」と命令した。警官の制服は「政府の財産」であるという説明を加えたという。

ロプサン・ジャミヤンはンガバ、アンドゥ地区シェワ村の出身。幼少時に地元のアンドゥ僧院に入り僧侶となった。後、袈裟を脱ぎ一般の小学校に通った。彼の子供時代の友人で今は亡命しているチベット人の話によれば、彼は子供の頃からおとなしく、例えば、草の葉のような何でもないものを相手に長い間遊んでいたという。貧しい家族を助けるため、学校を卒業した後も、僧院には戻らず、家の手伝いをしていた。2008年以降、急速に政治的になったとも言う。地域で立ち上げられた「チベット語擁護推進の会」を熱心に手伝っていた。

焼身の日、ロプサン・ジャミヤンは隣人に頼みンガバの町までバイクで送ってもらっている。途中、アンドゥ僧院に寄り、僧院の周りを右繞した。「彼は誰にも焼身の計画について語っていなかった。バイクで送ってもらう間に彼は隣人に向かって、彼のチベット語プログラムの話をしたという。そして、『チベット人たちがもっと団結し、チベット語を守るべきだ』と話したそうだ。ンガバで降りた後、彼は灯油を手に入れ、トイレに入ってそれを被り、飲んだ。火に包まれながら通りに出て、キルティ僧院の方を向いた。何かを祈ったのだろうが、私はその内容は知らない」と現地と連絡を取った彼を知るチベット人は語る。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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