チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年4月8日
1人のチベット人青年が投身抗議
8日付けphayulより。http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=31196&article=“It+is+my+personal+decision…Free+Tibet%2c”+a+Tibetan+youth+texts+before+jumping+to+death+wearing+a+‘Free+Tibet’+t-shirt
中国のチベット統治に対する抗議の印として、インド、コルカタ在住の1人のチベット人がハルワー橋からガンジス川に投身した。
4月2日、スコットランド教会カレッジ(Scottish Church College)の学生である、ドゥンドゥップ・プンツォ(26)は「フリー・チベット・Tシャツ」を着て橋から身を投げた。
土曜日(7日)の夕方、彼の遺体がBaja-Kadamtalaガートの近くで引き揚げられ、母親により確認された。
抗議の投身を行う数日前に、ドゥンドゥップ・プンツォはコルカタ在住のチベット活動家であるルビー・ムケルジーに対しSMSメッセージで、在コルカタの中国領事館前で「フリー・チベット」活動を行うかも知れないと書いていた。
「ルビーさん、嘘をついてしまい、すみません。私は1人でやるつもりです。今夜どんなことがあろうとそれは私の個人的決定です」とチベット難民援助を行っているインド人にメーセージを送っていた。
「これは個人的行動です。この行動により逮捕された時、他の誰にも迷惑がかからないように、携帯からすべての番号を消去しました……フリー・チベット」とドゥンドゥップ・プンツォは続けた。
ルビーはレポーターに対し、「バカな事をしないように」と彼を説得したと答えている。
「彼はニューデリーにおけるジャンペル・イシェの焼身抗議に鼓舞され、チベットのために何かやりたがっていた」とルビーは言う。「私は彼にバカなことはしないようにといい、止めようとした」。
ジャンペル・イシェ(27)は3月26日、インドの首都ニューデリーで、チベットの危機的状況に対する国際機関の介入を求める大きな抗議行動の最中、焼身を行った。
チベット亡命議会議員であるアーチャリア・イシェ・プンツォはphayulに対し、「ドゥンドゥップ・プンツォは行動的な学生だった。常にチベットのために何かしようとしていた」と語る。
「昨日ルビーと話をした後、ドゥンドゥップ・プンツォのことを思い出した。2008年にコルカタでチベット支援活動を行った時、彼に会っていたのだ。彼はその時参加していた18人の学生の一人だった」とアーチャルヤ・イシェ・プンツォはいう。
「ドゥンドゥップはチベットのために橋から身を投げたのだ。自分のためではない。だから、もちろんこの件を私は亡命政府に報告する」とイシェ・プンツォ。「今日、コルカタのチベット人と支援者たちが殉死者への礼を尽くし、彼の葬儀を行う事になっている」
チベットの作家、活動家であるテンジン・ツンドゥはドゥンドゥップ・プンツォのことを思い出しながら、「彼は情熱的で、チベットのために何でもやろうとしていた若者だった」という。
「33人の焼身抗議者の後、今日、残忍な中国に支配されるチベットの苦しみを知らせるために1人の若者がガンジスに身を投げ殉死した」とツンドゥはphyaulに語る。
「ドゥンドゥップはどうやってインドの中にチベットのメッセージを伝えるかについて度々電話して来た。私は彼に一度も会った事がないが、とにかく情熱的でチベットのために何でもやろうとしている若者だった」
ドゥンドゥップ・プンツォはその人生の大半をインドのコルカタで過ごしていた。彼の家族はチベットから亡命した後、当初ダージリンのキャンプにいたが、後コルカタに移り住んでいた。
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チベット内地からは、これまで、焼身以外に抗議の自殺を行ったという報告が何度か伝わっている。
例えば、2008年10月18日、アムド、チェンツァの中学生、ルンドゥップ(17)が3階建ての学校の屋根から飛び降りて自殺した。
彼はメモを残し、その中で「個人的な理由で自殺するのではない。世界の人々に、チベット人は自由と基本的人権を奪われていることを証明するために自殺するのだ」と明記している。
詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51119733.html
彼は「拘禁されたチベット」と題された詩集も残した。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51247912.html
しかし、亡命側でこのような抗議の投身が行われたというのは初めてだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)