チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年3月31日
26日デリーで焼身抗議、死亡したジャンペル・イシェ氏の葬儀
ジャンペル氏の遺体は昨日デリーからダラムサラに運ばれた。朝8時からツクラカン前の広場においてTYC(チベット青年会議)主催で政府首脳、議会議長等も列席の上、追悼式が行われた。その後、町はずれの火葬場に運ばれ、葬儀、火葬が行われた。
追悼式にはおよそ3000人が出席。広場には法王がティーチングされるときより多くの人々が集まっていた。
遺体が到着するところから、完全に灰となるまでつきあったので、時系列に一部始終を写真と共に報告する。
日本と違い、インドでは(チベットも同様)火葬は薪の上に遺体を載せてオープンに行われる。慣れない人にとって少々ショッキングな写真も含まれるかもしれないことを最初にお断りしておく。
警察車両に先導され、早朝デリーからダラムサラに向かう車隊。遺体は救急車により運ばれた。
隊列は相当なスピードで走っていた。そんな中、バイクに乗りながらシャッターを切るも、うまく行かず。
走りながら、「プギェロー!」などと叫び声を上げ、拳を振り上げる元気のいいチベットバイク隊。
ツクラカン前に到着した遺体を乗せた救急車。カタを掲げ、これを道で迎える人たちの数は法王を迎える時よりも多かった。
ジェンペル氏はTYC(チベット青年会議)のメンバーであったということで、主催はTYCであったが、亡命政府大臣や議会議長等も出席し、準国葬扱い。全員で黙祷を捧げているところ。
センゲ首相は日本訪問のため、前日ダラムサラを発っており、この追悼式には出席することができなかった。しかし、デリーに向かう途中、遺体を運ぶ隊列と会い、哀悼の意を示しておられる。
最初にジェンペル氏の遺書が読み上げられたが、途中で読み上げる女性が泣いてしまい、会場からもすすり泣く声が聞こえた。
スピーチするTYC副会長ドゥンドゥップ・ラダル。会長のツェワン・リクジンがアメリカから帰国し、デリー空港に到着したところを入国拒否され、追い返されてしまったので、彼が代表代理。
彼は焼身を悲しむ意を示しながらも、何度も中国を「敵」と呼び、「6百万人のチベット人が13億人の中国を相手に決して挫けることなく、闘いの精神を維持し続けていることを誇りに思う」と述べ、さらに「中国政府は法王やTYCが焼身を奨励していると言うが、これは全くの嘘だ。我々はすべてのチベット人を信頼している。信頼している人々に対し、何かを奨励したり、命令することは決してしない。すべてはそれぞれの個人が考え抜いたのちに為した行動だ。すべての原因は中国がチベットを侵略し、今もチベット人とその文化を抹殺しようとする、その政策にあるのだ」と中国を強く非難した。
ジャンペル氏が燃え盛り疾走する姿を正面から撮影し、その写真が有名になったAP通信のカメラマン。紹介されたが、名前は忘れた。
現場にいて、焼身を目の前で目撃したチベット人数人に話を聞いたが、みんなあまりに突然のことで、呆然とし、カメラなど構えることができた人はいなかったという。
ジャンペル氏は、集会でインドの政治家が演説している時に、後ろの方から会場のど真ん中に走り込んで来たという。
前でチベット国旗を持っている僧侶は元政治犯で最近亡命したテンジン。彼の証言は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html?p=2#20120316
施主は松明にした最初の火を持ち、周りを3周する。ジャンペル氏の家族、母親と兄弟はすべてチベットにいる。故に、今回の施主を務めたのはTYC副議長であった。
亡命側ではこうして、みんなに見守られ、よき来生に生まれるための法要も行われる。内地で焼身した者たちの多くは、遺体を中国側に奪われ、なんの法要も行われず、勝手に火葬され、遺灰のみが家族に渡されるということが多い。どの民族でもそうだが、死者に礼をつくし、葬儀を行うことは大事なことだ。だから、チベット人たちは焼身後、その人が死んだ場合には、危険を冒してもどうしても遺体を手に入れようとする。普通に葬儀も認めないのが中国当局だ。
火葬場のそばに咲くシャクナゲの赤い花。今年は冬が長かったせいなのか、開花が一ヶ月ほど遅く、花付きもよくない。
薪の間に見える、ジャンペル氏の頭蓋骨の一部。上の穴は眼孔と思われる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)