チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年3月24日

ロビバによる「焼身抗議」解説

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_DSC0640以下、早稲田の石濱裕美子教授が翻訳・解説して下さったもの。
ご本人の了承を得て、ブログ「白雪姫と七人の小坊主達」より転載させて頂きます。

原文:http://asiasociety.org/blog/asia/interview-robert-barnett-why-tibetans-are-setting-themselves-fire

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3月21日のBS1ワールドWaveトゥナイトでチベットの焼身抗議がとりあげられた。

 NHKはまずぼかしの入ったチベット人の焼身映像を流し、さらに現地に入った記者がぼかしの入ったお坊さんからインタビューをとり、亡命政府のセンゲ首相と温家宝の主張をそれぞれ併記し、今月に入ってさらに焼身者が増えていることを時系列の表で示し、〔少数民族とはいっても中国と比べるから少数なのであって〕チベット人は300万人おり、モンゴル共和国よりも人口が多いといい、先だっての3月10日の先進諸国でのデモの映像を流した。
 
 「シルクロード」「大黄河」など、中国を舞台にしたドキュメンタリーでならしてきたNHKには、中国との間にぶっとい絆があることはよく知られている。そのため従来NHKは中国での取材を円滑に進めたいがため、チベット報道も中国政府が許す範囲内で行い、その結果、NHKのチベット報道と言えば、観光か、環境か、近代化の中で変わるチベット事情(このような番組の中ではチベット人が妻のために冷蔵庫をしょって山道を歩いたりする 笑)みたいなものが多く、たまーにチベット問題を扱う場合でも、よく見れば中国政府を批判しているものの、リテラシーのない人がみれば中国政府の言い分しか記憶に残らないような「察して」みたいな、すばらしい(アメリカン・ジョーク)番組を作っていた。

しかし、今回の特集は違った。まあ直球の報道であり、「事実をありのままに伝える」という報道の本来の精神に則っていた。チベサポもこの番組を全体としては評価していたが、こういう声もあった。それは、スタジオに呼ばれていた解説者がした「チベットは中国にとって核心的利益だから、チベットに対する姿勢は変わらないだろう。各国も中国と経済的な関係が密接だから圧力が加えられないだろう」という旨の発言に、「チベット人が今怒っているのは領土問題というより愛国教育である。愛国教育をやめるだけでも焼身はとまる」というもの。また、「焼身はチベットの利他の文化に基づく部分もあるのに、それに対する解説がない」という意見もあった。

 では、この焼身の件について誰の解説がよいだろうかと言えば、やはりロビバ (コロンビア大学の現代チベット研究課程の所長、ロバート・バーネット)であろうということで、「彼の2月24日のインタビュー記事、誰か訳さない?」、じゃあチベサポ界の書記(笑)がやるか、という流れで、私がへたくそな和訳を行うこととなったのである(前置き長)

( )内は訳者注。

120224_robert_barnettロビー・バーネットへインタビュー: なぜチベット人は自らの身に火を放つのか?
2012年2月24日by Alex Ortolani Asia Blogより

今週初め、中国によるチベット支配に抗議するべく焼身したチベット僧は、少なくとも22人にのぼった(2月24日時点。今は30人)。コロンビア大学現代チベット研究課程の所長、ロバート・バーネットは「これは新しいタイプのチベット人の政治的な抵抗である。中国政府がこの地域における政策を変えないならば、焼身は異議申し立ての形として継続するだろう。」と述べた。以下、アジア・ブログによるロバート・バーネットへの電話インタビューである。

●なぜチベットの僧侶や尼僧は中国政府に対してこのような特殊な形の抗議を行うのか?

ロビバ: なぜ彼らがこのような抵抗の方法を選んだのかという理由ははっきりしません。本土のチベット人、とくに地方にいる人々は、「アメリカの声」(voice of America)や「ラジオ自由アジア」(radio free Asia)のような、外からくるチベット・ニュースを時には聞くことができます。しかし、去年、チュニジア革命の発端となった焼身自殺についてはたぶん知らないはずですし、まして、五十年前にベトナム〔反戦運動の引き金となったティック・クアン・ドック師〕の焼身自殺についてはもっと知らないはずです。しかし、彼らはアラブの春をもたらしたデモについては聞いているでしょう。そして、これは一般的な意味で人々を奮い立たせ、大衆による抗議運動を変革の手段とみているかもしれません。

 しかし、チベット人がこのような抗議の手段をとった背景には2008年におきた前回のチベットの騒動時の体験があるかもしれません。当時は、約150人の大規模な街頭デモがおき、この中の約20人が暴徒化しました。この暴力は、中国政府がチベットと中国の間にある基本的な問題の解決や抗議者の不満の解消に取り組むことを避ける状況を生み出しました。

 従って、今行われている焼身抗議は、伝統的な大規模な街頭デモの否定的な側面(一歩間違えると暴徒化)を避ける一つの手段と見られているのかもしれません。つまり、焼身を行う者は「私の希望は他人の生命・財産に害を与えていない。また、争乱も引き起こしていない。従って、簡単に無視できないだろう」、というような形で中国政府に対してメッセージを送っているのです。

 焼身抗議者は「自由を!」「ダライラマ法王のチベットへの帰還を!」と叫んでいます。〔この叫びから見ても〕1994年に始まった中国の劇的なチベット政策の転換が彼らの焼身の引き金となっているように思われます。1994年、僧侶や尼僧にダライラマを否定するように強制し、僧院やチベット人居住域に関する規則を増大させることによって、中国はダライラマを攻撃する政策に重点的に取り組むことを決定しました。

 この政策は最初は、チベット自治区、すなわちラサを中心とするチベット高原の西半分でのみ運用されていましたが、この十年間で次第に高原の東半分にある僧院・尼僧院にも適用されるようになりました。これらの地域はチベット人の人口の大半が住む地域であり、そして、現在焼身抗議が行われている場所でもあります。

 この中国の政策は、「僧侶の再教育プログラム」「ダライラマの尊崇の禁止」「学校におけるチベット語教育の削減」「チベット人居住域への他民族の入植奨励」ほかもろもろの禁令により成り立っています。それまで東チベットの人々はきわめてリラックスして平和裡に暮らしていたので、中国がなぜこの政策を東チベット地域にまで適用することを決意したのかは誰も知りません。

●仏教文化にはこの種の特殊な抗議を行う伝統があるのですか?

ロビバ: 中国の報道では「焼身抗議は仏教の教義や戒律を犯すものだ」と言い立てていますが、実は焼身は仏教の伝統と深く共鳴しています。個人的な理由からそれを行うのならば、自殺は仏教で禁止されています。しかし、より気高い動機を持って行われる自己犠牲は高く評価されます。

仏陀がその前世において自己犠牲を行っていた物語(ジャータカ)はよく知られています。もっとも有名なエピソードとしては、飢えた母虎が自分の生んだばかりの子虎を食わないように、自らの体を虎に差し出した話です(日本の法隆寺の玉虫の厨子はこの捨身飼虎を描いたもの。仏陀の前世者によって命を救われた子虎は後に仏陀が最初に法を説いた際の最初の五人の聴衆となった)。従って、社会の利益のためになされた行いは、気高いものとみなされますし、もしそれが僧侶によってなされるのなら、特に尊敬を受けます。

 焼身が僧侶・尼僧・元僧によってなされているのはまさにこの理由からです。彼らは社会的に尊敬されていた人たちであったため、中国政府は抗議者たちの信用を落とすことに成功していません。

 かつて、2001年に法輪功の信者とされる五人の中国人が北京で集団で焼身抗議を行った事件については、中国政府はかれらの評判を落とすことにかなり成功しました。中国政府は、「この焼身はかれら五人が法輪功によって洗脳され、騙されていた証拠」と宣伝したのです。中国の報道は今回もこのやり方をチベット僧たちに適用しようとしましたが、その試みはうまくいきませんでした。焼身抗議者たちの大半はチベット社会の中で広く尊敬されていた人々であったからです。

●なぜ、チベット・中国双方はチベットの管理に関して共通の基盤を見いだすことができないのでしょうか?

ロビバ: チベット・中国の間に存在する問題を理解する一つのやり方として、「チベットの地位」という問題があります。つまり、「チベットは中国の一部なのか」あるいは「もし中国の一部ならどの程度の自治があるのか」という問題です。この問題は中国軍が最初にチベットを併合し、中国の領土へと統合しようとした少なくとも百年前に遡る問題です(1911年の清朝軍の侵略に追われてダライラマ13世がインドへ亡命し、その後清朝が13世を廃位した事件)。この問題は非常に解決に時間がかかる問題です。

 しかし、この最初の問題と混同されがちな第二の問題があります。それは、中国が最近になって導入した諸政策、特に1994年以後に導入したダライラマを敵視する政策、それに加えて再教育プログラム、チベット語教育の軽視、経済発展のおしつけ、といった諸政策が同時に強化されていく問題です。

 この二番目の問題の要因は不変ではなく、常時新たな形態をとっているが故に、中国に、容易に妥協できるようなチャンスを提供しています。もし彼らが妥協するならば、ある種の緊張の緩和が生まれ、最初の問題であった自治と地位に関する問題も解決する時間が得られるでしょう。

●これらの焼身には終わりが見えますか?

ロビバ: 中国は少なくとも1980年代初頭からは「自分たちはチベット人を寛大に遇している」と思っています。なぜなら中国はチベット地域での経済発展を促すために莫大な助成を行っているし、中国は焼身抗議を、チベットを独立させて中国を分裂させようと企図しているダライラマや他の亡命者たちの策謀とみなしているからです。

 亡命者たちはもちろんこの中国の疑念を否定しますが、同時に、予想通りの強力なナショナリスティックなレトリックを用います。従って、この両サイドの指導者間における交渉による解決という可能性は排除されていないとはいえ、現在の情勢ではこれは実現できそうもありません。

 当分の間、今頭にきている東チベットの人々の意志は固いでしょう。というのも、かれらは、地域や僧院に対する中国の様々な攻撃について長くつらい記憶をもっているからです。彼らは自らの核心的な価値を守りづけるでしょう。

 従って、現在の緊張状態は中国共産党からの譲歩なしに終わることはないでしょう。

 その譲歩は、人々が自殺を止めようと決意するためには、それほど大きなものである必要はないでしょう。

 本土のチベット人は活動家ですら、大概の場合驚く程穏健で、一般的にプラグマティツクです。だから、中国が形だけの改心を示しても、とても大きなインパクトがあるでしょう。

 たとえば、中国は再教育プログラムをやめることができます。また、ダライラマを悪魔と罵る政治キャンペーンも中止することができます。

 これらの政策はもはや何十年にもわたり中国内地ですら施行されたことはないのではないでしょうか?

 また、香港で行っているように、チベットへの入植者の数を規制することもできます。

 もしそうしないならば、緊張状態は加速し、もしさらに多くの人々が殺されるなら、状況はコントロール不能となり、いかなる意味のある形でも解決することは難しくなるでしょう。

●一番最近の焼身では、警察から焼身者をまもるために千人の人々が取り囲んでいたという。なぜ彼らはこんなことをするのだろうか?

ロビバ: チベット文化では、人が死んだあと、〔転生に向かう過程を邪魔しないように〕遺体をできるかぎりそっとしておきます。

 そして残された人は特別な儀式を行い、死者の意識が穏やかになり、よりすばらしい転生へ向かうようにと祈ります。

 しかし、いかなる宗教においても、様々な説明のレベルがあります。たとえば、一般的に、適切な形で身を捨てる、たとえば、遺体を鳥や魚に食べさせることは、慈悲のあらわれであるために、中国によって行われる通常の火葬などよりもよい、という考え方があります。

 チベットの伝統では、焼身抗議は明らかに、地方政府がいうような「絶望した個人による自殺」ではなく、「他者を利するための自己犠牲」とみなされます。従って、土地の人々は適切な儀式が僧侶たちによって行われると保証することによって、死者に対して敬意を払いたいのでしょう。ですから、死者の体を警察に没収されることに対する抗議以外にも、多くの要因があるのです。

以上です。まとめると、すぐに領土問題とか安全保障とかに結びつけて思考停止するな。中国人にすら今は行っていいないあの悪質な愛国教育を中国政府がやめれば、チベット人はやさしいから今の抵抗運動をやめるだろう、ということである。あと、利他のための焼身は菩薩行とみなされること、そして、修業者は死の直後には仏の意識により近い状態にあるので、遺体を動かさないことを求めている、というのもたしかにチベット仏教の思想です。

 抵抗運動がそのまま仏教の精神修行となること、その死ですら伝統文化の現れとなることはフリー・チベット運動の特徴である。中国政府の弾圧というネガティブな力もチベット人の中をとおると民族文化の維持と世界平和というポジティブな力へと昇華していく。

 従って、チベット人の意志を弱らせたいなら、中国がそのネガティブな行動を抑制すればいい、というロビバの意見は非常に理にかなっている。

 ちなみに、焼身抗議に対する調査を求めて行われていた、チベット人の無期限ハンストは、国連が調査を約束することによってようやく今日(23日)終わったようである。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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