チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年3月16日

最近亡命を果たした一人の僧侶の証言 抗議デモ・拷問・刑

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3月9日、ダラムサラの難民一時収容所を訪ねた。ちょうど、前日に法王と謁見することができた50人あまりの新参者がいた。若者が多く、僧侶は5人ほど、15歳以下の子供は数名しかいなかった。かつて2008年以前には僧侶と子供が常に半数はいたものだ。チベット側、ネパール側双方の国境警備が強化され、亡命の危険度が増したことで、僧侶や子供が超えることが特に難しくなったのであろうと思われた。

この中、特に一人の若い僧侶テンジン(仮名、26歳)から話を聞いた。彼の出身地はカム、ディル、2008年に中国に対する抗議デモを行い3年半監獄に入れられていた。

ディルについては最近も当ブログhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-02.html#20120229で報告したように、今も厳しい弾圧が続き、僧院が空になりつつある。

jpg-largeダラムサラの一時収容所に到着したばかりの難民新参者。

実は、彼には1ヶ月前収容所に行ったとき会っている。その日、朝暗いうちにネパールからダラムサラに到着したのだった。そのとき、ちょっとだけ話をし、かれが刑務所に入れられていたことは知っていた。今回は毎日新聞さんを連れて行き取材してもらったのだった。毎日さんの記事はすでに10日に出ている。その記事は>http://mainichi.jp/select/world/news/20120311ddm007030162000c.html

私は通訳をしていて、メモをとっていなかったので以下は怪しい記憶に頼って書くものである。記憶違いもあるかも知れない。それを最初に断っておく。

「なぜ刑務所に入れられたのか?」とまず、尋ねた。それに対し答えてくれたついでに一気に亡命までの経緯を話してくれた。

抗議デモ、拘束、最初の拷問

56fe2dfaチベットの正月(ロサ)の日に法王の姿を初めて目にし、涙する僧テンジン。

チベットに宗教や言論の自由がなく、人権が無視されているというのは昔からだ。2008年にはじまったことじゃない。ただ、2008年、北京でオリンピックが行われようとしていた頃、地区で千人以上が参加する大きなが起きたが、このきっかけは小さなことだった。

自分の僧院の年若い子坊主2人が町に買い物に行った。中国人がやってる店で10元かそこらの金のことで言い争いになったという。中国人の店主は警官を呼んだ。子坊主2人はバイクで帰ろうとした。警官が駆けつけ後ろから2人めがけて発砲した。銃弾はバイクに当たり2人は驚いてバイクごと倒れたという。2人はしばらく拘束された後、解放された。

この話を聞いた自分たち同じ僧院の僧侶や町のチベット人は、そんな小さなことで少年僧に向かって発砲した警官に対し強い怒りを感じた。僧院の仲間が集まり、近くの公安事務所に抗議しに行った。その内他の僧侶や街の人たちも大勢集まり、大集団となった。最終的には僧侶約200人を含め千人ほどのチベット人が集まり、中国政府への抗議の声を上げ始めた。「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と。

しかし、警察もすぐに反応し、軍隊と武装警官隊が呼ばれ、前後の道が封鎖された。武装警官隊が近づき先頭や周りのチベット人たちが拘束され始めた。結局250人ほどが拘束された。

拘束された人たちはいくつかのグループに分けられた。自分は軍隊の駐屯地に連れていかれた。そこでは6日間、昼夜立ち続けることが強要され、それは眠ることができないという拷問でもあった。食べ物もほとんど与えられなかった。尋問の時だけ座ることができた。昼間は外で両手を広げて立ち尽くすことを命令され、その姿勢を保てなければひどく殴られた。

拘束されていた者の中から18人がナクチュに送られ、さらに尋問が続けられた。

裁判

数ヶ月後に裁判があった。手を後ろで縛られ、頭を押さえられ、その裁判所と呼ばれる場所に入った。下向きに歩かされる通路の両脇には隙間なく盾をもった武装警官が並んでいた。中には一般の人は誰もいなかった。見渡す限り制服姿の警官と軍人ばかりだった。こちらからは一言も口を聞くことが許されなかった。裁判というと証拠が示されるのが普通と思うが、そんなものはなにも示されなかった。ただ、判決を聞くだけだった。「国家分裂煽動罪により3年半の懲役刑」と言い渡された。

刑務所での拷問

それから自分を含めその時のデモに参加した内の5人がラサの刑務所に送られた。ダプチ刑務所に送られた者もいたが、自分はチュシュル刑務所に送られた。

刑務所に入れられた最初の6日間が一番つらかった。朝から夕方まで刑務所の庭に立たされる。顔を太陽に向け直立の姿勢で両手は身体の横に揃え、膝の間には紙切れが挟まれる。周りには電気棒をもった看守が立っている。少しでも姿勢が崩れたり、足の間に挟まれた紙切れが落ちると電気棒で容赦なく叩かれたり、つつかれる。口の周りや首の後ろに電気棒を当てられると気絶して倒れる。倒れると馬乗りになられ、殴られる。この繰り返しだ。本当に気が狂いそうだった。顔は真っ黒になり、火傷した時のように皮がむけた。

亡命を決心

刑期を終えてディルに帰ったが、もちろん嘗ての僧院に行くことは禁止されていた。度々公安に出頭させられ尋問を受けた。友人の紹介で仕事を見つけたこともあったが、しばらくして公安が来て雇い主を脅し、解雇された。このまま、ディルにいても両親に迷惑がかかるばかりだと思い、亡命を考え始めた。再び、僧侶としての勉強を続けたかったし、何よりも、チベットを自由な国にするためには、もっといろいろなことを勉強しなければならないと思うようになっていた。そのためにはインドに亡命するしかない。もちろんダライ・ラマ法王にお会いしたいという気持ちも強かった。

2011年の終わり頃、ダライ・ラマ法王がインドのブッダガヤでカーラチャクラの法要を行われるという話が伝わった。ディルでは知り合いの何人かがこれを機会に一緒に亡命しようと話し掛けて来た。自分もその気になったが、そのためには15000元を用意しなければならなかった。その金がその時準備できず、自分はあきらめた。実は30人ほどになったそのグループは亡命途中シガツェ付近で全員逮捕されたと聞いた。

グループになると危険だと思った。それから一人でラサに出て、亡命のためのガイドを探した。借金で集めた大金を払い、一人で車に乗り国境の街に向かった。途中何度か検問所の前で車を降り、迂回道を歩いた。国境の前で降り、夜中に川をロープで渡り、ネパール側に入った。山道を一週間ほど歩き国道に出た。髪の毛を黄色に染められ、ヘルメットを被りカトマンドゥの一時収容所までバイクで向かった。

ダラムサラに到着して、本当にうれしく、心が軽くなった。法王に謁見したときも夢をみているようで、身体が浮いているように感じた。これから南インドのデブン僧院に行き勉強する。仏教だけでなくいろんなことを勉強するつもりだ。

最後に焼身抗議について尋ねた

ディルにいた時、数人が焼身したという話は人伝てに聞いていた。中国は焼身の話を発表することはないし、他の地域で起こっていることがすぐに伝わるということはない。亡命して初めて、こんなに沢山の人たちが焼身していることを知った。とても勇敢な行為だと思うと同時にとても悲しい気持ちになった。中国を非難し、世界にチベットの問題を訴えるのに他に方法がないからだろう。法王がご高齢となられ、中の人たちは早く法王をチベットに迎えねばと焦っているのだと思う。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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