チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年3月15日
<続報>僧ジャミヤンの焼身抗議/中学校生徒たちの抗議デモ
昨日14日、レプゴン、ロンボ(ロンウォ)僧院における僧ジャミヤンの焼身抗議について、<速報>として報告した後、RFA,VOT,VOA等がその後伝えられた情報を報告している。また、焼身後に行われた抗議デモのビデオや写真、さらに同日周辺地区の中学生中心に 「言語平等、民族平等」を訴える大規模なデモが行われたという報告も伝えられた。以下それらをまとめてお伝えする。
<焼身の経緯とその後の状況>
4年前の2008年3月14日、ラサで大規模な蜂起が発生し、これに対する当局の無差別発砲により数百名のチベット人が殺された。この日はラカル(白い水曜日)にもあたっていた。
朝10時半頃、他の僧侶たちは本堂でお経を上げていた。僧ジャミヤン・ペルデンは、独り本堂前のドルマ菩薩の像があるドルマ広場にガソリンを入れたポリタンを手に持ち、向かった。広場には数名のチベット人が五体投地を行っていた。
僧ジャミヤンはまず、本堂に向かって3回五体投地を行い、その後「ダライ・ラマ法王をチベットにお迎えしよう!チベット人とその言語が守られますように!」と祈願の声を張り上げた。そして、ガソリンを被り、自らの身体に火を放った。
彼が燃え上がるのを見て、近くで五体投地をしていたチベット人たちは驚き、すぐに一人が服を脱ぎ、その服で消そうとした。また、五体投地用の毛布を掛けて消そうとする者もいた。しかし、火の勢いは強く完全には消すことができなかった。そのうち、当局の僧院警備員が駆けつけ、残りの火を消し、警官を呼んで、近くのマロ病院に彼を運んだ。
酷い火傷を負った僧ジャミヤン(病院か?free Tibetより)
事態を知った僧侶と周りのチベット人たちはすぐに病院に急いだ。病院に置いたままにしておけば彼は逮捕され、そのうち行方不明となることを恐れた僧侶たちは病院から彼を運び出し、僧院に連れ帰った。最初本堂に寝かせ祈祷などを行った後、宿坊に運び、現在医者を呼んで治療を行っているという。
彼の様態を見た人は、「手足と胴の前後、後頭部にひどい火傷を負っており、生きる望みは少ないのではないか」と話す。
当局は家族を説得し、彼を西宁の病院に運ぼうとしているという。
僧ジャミヤン・ペルデンは1973年レプゴンのギェルポ村で父クンチョク・キャップ、母チャクモの息子として生まれる。(生年はRFAチベット語版情報。現在39歳または38歳ということになる。34歳とか30歳と伝えるメディアもある)
彼の兄弟の内、長男ゲシェ・ゲレックはロンボ僧院の僧院長であるという。18歳の時ロンボ・ゴンチェン僧院ツェンニー(論理)学堂に入る。控えめで、勉学、戒律ともに特に優れた僧侶として知られていた。
彼は2008年のチベット一斉蜂起の際、レプゴンで行われた平和的抗議デモに参加し、拘束され激しい暴力を受けた。その時受けた傷を直すため長期に渡り治療せねばならなかったという。
<焼身を受け抗議デモ>
焼身を知った僧侶や付近のチベット人たちはロンボ僧院前のドルマ広場に集まり、法王の長寿を祈る経を唱えたり、「チベットに自由を!チベット語擁護を!」等のスローガンを叫び、中国政府に対する抗議を露にした。
シャル・キャプゴン・リンポチェが、これ以上、デモを行わないように説得しているという映像。
武装警官隊が周囲を包囲するなか、この抗議集会は午後3時過ぎまで行われた。ラマたちの説得により解散された。
同じ14日にはレプゴン県、ツェコン県、ガンチャ県で中学校の生徒を中心に「言語平等、民族平等」を訴える抗議デモが行われた。
青海省ではチベット人学生たちが2010年秋を中心にチベット語擁護を訴えるデモを度々行った。これは、当局がチベット語以外の教科をすべて中国語で教えるという方針を打ち出したことに反発したものだ。この教育方針はデモの後一旦撤回され、数年を掛けじょじょに行われるということになった。
そして、今年3月、冬休みが開けた学校で配られた教科書がすべて中国語で書かれていた(すべての学校ではないと思われる)。これを見て、チベット人生徒たちは反発し、教科書を元のチベット語に戻すよう要求するデモを行った。
レプゴンではレプゴン・ユシュ中学校、レプゴン県民族中学校、ゲンドゥン・チュペル学校の3校の生徒併せて700人ほどが「言語平等、民族平等」を標語として掲げデモを行った。レプコンのデモは焼身の後であり、焼身に刺激された可能性が高い。
ツェコン県では朝10時頃から地域の中学校生徒約2500人が「地域ごとの言語を守ろう、民族平等、バリケードを壊せ」等のスローガンを叫びながら、街中を行進し、警察署や軍の施設の前にあったバリケードを壊した。武装警官が出動したというが、拘束者が出たかどうかは明らかではない。
海北地区のカンツァ県の民族中学校の生徒約100人もこの日抗議デモを行った。しかし、彼らは警官隊に押し返され、学校の中だけでスローガンを叫んだという。
参照:14日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/protest-03142012093850.html
http://www.rfa.org/english/news/tibet/students-03142012213524.html
チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/jamyang-palden-self-immolated-28th-03142012094759.html
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/thousands-of-amdo-rebgong-middle-school-students-protested-against-chinese-textbooks-03142012153120.html
14日付けVOAhttp://www.voanews.com/tibetan-english/news/Tibetan-Monk-Self-Immolates-in-Rebkong-Thousandss-Gather-to-Pray-and-Protest-Exclusive-Video-and-Photos-142622016.htmlこの中には僧ジャミヤンが僧院に運び込まれた後の映像があり、少しだけ彼の姿が映っている。
14日付けTibet Expresshttp://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/7731-2012-03-14-06-34-55
14日付けTibet Timeshttp://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=5728
中国側発表:温家宝のチベット人焼身抗議に対するコメントは>http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE82D04W20120314
僧ジャミヤンの焼身についての記事は>http://www.china.org.cn/china/2012-03/15/content_24901584.htm
今回の焼身は大きな街の大きな僧院で起こったということ、当局はンガバのようには警戒していなかったこと、すぐに通信網が遮断されることがなかった等の理由により、情報が素早く多めに流されているようだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)