チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年3月13日
チベットの闘いにおける女性の役割「オレンジ・レボルーション」
デモ行進の後、下ダラムサラの広場で集会を開く。中央には焼身抗議を行い、死亡した5人のチベット人女性を象徴する棺が並べられた。
昨日3月12日はチベットの「女性蜂起記念日」であった。
1959年3月10日、ラサで中国の侵略統治に抗議する大規模なデモが行われ、激しい弾圧により数万人の犠牲者が出た。その2日後、チベットの女性たちは歴史上初めて女性だけの抵抗組織を立ち上げ抗議デモを行った。「ラサ愛国女性連合」の名の下に数千人の女性たちがポタラ宮殿の前に集結し、中国に対する抗議デモを行った。このデモは数週間続いたという。
その後、リーダーであったパモ・クンサンを初め、この運動に参加した多くの女性たちは獄に繋がれ、拷問され、多くの女性たちが処刑されたり、獄中死した。
法王がインドに亡命され亡命政府を樹立された後、亡命チベット人女性たちはラサで蜂起した女性たちの意思を継ぐため、すぐに「チベット女性協会(the Tibetan Women’s Association>TWA)」を結成した。昨日の記念日デモもTWAが主催したもの。
デモの前に頬に「I Love Tibet」マークを描いてもらうTCVの女子生徒。
3月5日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/women-03052012193309.htmlに「チベットの闘いにエネルギーを送る女性たち」というコラムがあった。コラムの中にはアメリカ、コロンビア大学のチベット学教授ロビー・バーネット氏のコメントなどが引用されていた。
今回はこのコラムも使いながら「チベットの闘いにおける女性の役割」について少々考えてみる。
なお、写真はすべて昨日の女性蜂起記念日デモのものである。
一妻多夫の慣習を持ち出すまでもなくチベット女性は一般に強いと感じる。これは一つには寒い気候の中、家庭の中心は自然に「かまど」となりこれを守る主婦が命令系統の中心となりやすいこととも関係があると思う。チベット圏に行ったことがある人なら誰でも知ってるが、かまどを守る女性が子供や夫に仕事の指示を与えているのである。
また、世界一般に女性が強い社会は平和な社会である。平和だから、女性が全面に出ることができるのだとも言えよう。チベットで長期間に渡り比較的平和な時代が続いた証拠でもある。
例えば、亡命チベット人たちは最近欧米を中心とした外国に移民するケースが多いが、この場合にもまず家庭の主婦が外国に渡り、生活を整えた後に夫や子供を呼び寄せるというケースが多く見られる。
女性焼身抗議者5人の疑似棺を先頭にデモ行進する尼僧、女子生徒、一般女性たち。棺を担ぐ労役だけは男性で他はすべて女性。かく言う私もこの日カメラ班を命令された。
で、チベットの闘いに話を移すが、この分野での活躍が目立ったのはまず尼僧である。1987年から96年ぐらいまでラサを中心に連続して行われた抗議デモの内三分の一は尼僧たちによるものだった。ロビー・バーネット氏も「過去25年間、チベットの女性は路上デモという新しい抗議形態において目覚ましい活躍をなした」と言う。
女性たちは男性中心に、時には暴力に至る抗議活動が弾圧された後に、常に完全非暴力スタイルで抗議を行う。
「女性の抗議が暴力的となることは決してない。この意味でもチベットが掲げる非暴力の闘いの象徴となり得る」とバーネット教授。
彼は「この意味でも焼身抗議に女性が参加したということに驚きは感じない」と続ける。
左より、2011年10月17日、ンガバで焼身した尼僧テンジン・ワンモ、20歳。初めての女性焼身抗議者。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51707010.html
2011年11月3日、タウで焼身した尼僧パルデン・チュツォ、35歳。その壮絶な焼身の姿を映したビデオが海外に伝わり衝撃を与えた。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51714359.html
2012年2月11日、ンガバで焼身した尼僧テンジン・チュドゥン、18歳。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729521.html
2012年3月3日、マチュで焼身した中学生ツェリン・キ、19歳。初めての一般女性。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51733229.html
2012年3月5日、ンガバで焼身した4人の子の母親リンチェン、32歳。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51733091.html
「ああ、内地じゃ幼い女の子たちが自分の体に火を放って燃えている。自分は外にいて何もしてあげられない。ああ、どうしたらいいの、、、」と今日も泣き叫ぶお婆さん。
リチャード・ギア氏は数日前NYの国連前で死のハンストを続ける3人のチベット人の下を訪れ、焼身抗議について「焼身抗議はチベット人たちの、誰も傷つけたくないという意思の現れだ」とコメントした。
焼身は究極の抗議行為だ。
スピーチを行う、現チベット女性協会会長のキルティ・ラモ女史。
チベット女性の中からはこれまでにも多くの象徴的活動家が排出した。現在においても北京のウーセル女史、アメリカSFTのラドン・テトン女史等は特に若い女性活動家たちのあこがれの存在である。
チベット亡命議会の議員の内三分の一は女性である。現在外務大臣も内務大臣も女性だ。
法王も常々、「愛や慈悲の力は生理的に女性の方が勝っている。だから世界でもっと多くの女性が指導者となることを願っている」とおっしゃっている。
「女性の抵抗活動は伝統的により考え抜かれたものであり、慎重で、非暴力のメッセージを象徴的に伝えることに焦点が置かれている」とバーネット教授。
娘を持つ親だからなのか、私は特に若い女性が焼身し死亡したと聞くと、悲しみで胸が張り裂けそうになる。
デモの最後にみんなにオレンジが配られた。みんな喉がカラカラだったからこれはおいしい!
女性協会は今回、新しい標語を提唱した。「オレンジ・レボルーション!」。もちろん、ジャスミン・レボルーションからの連想だろうが、「なんでオレンジなの?」と広報係のダドゥン女史に聞くと、「オレンジはビタミンCがいっぱいで栄養もあり、渇きを癒してくれる。自分たち女性の活動はオレンジのように、チベットの闘いをこれからも長く続けるための支えとなるように、という思いからだ」と説明してくれた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)