チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年3月4日

無期限ハンスト12日目

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421651_3330413064688_1399331099_33244065_994950328_n昨日11日目の写真。

ニューヨークの国連本部前で、チベットの正月1日(2月22日)から行われているTYC(チベット青年会議)主催の無期限ハンガーストライキは、今日で12日目である。参加者3人の体力は目に見えて衰え、10日目の時点でシンサ・リンポチェとドルジェ・ギェルポの体重は6キロ、イシェ・テンジンは3キロ減少したという。

un-hunger-strike-day8-305slide2ハンスト3日目にはニューヨーク警察から、3人を雪、雨、風から守るために建てられていたテントの撤去を命令され、8日目にはベッドや椅子も撤去せよと命令された。ニューヨークはこのところ天気が悪く時折、雪や雨が降り、風が強いと言う。3人は空腹の上に寒さと闘わねばならない状況ではあるが、あくまで、要求が通るまでハンストを続ける意思は堅いという。

ニューヨーク警察がこのように厳しい規制を掛けてくるのは去年のウォール街事件が影響していると思われている。

彼らが国連に対し要求する5項目は以下:
1) チベットの危機的状況を調査するために、直ちに調査団を派遣すること。
2) 中国に対し事実上の戒厳令を撤廃するよう圧力をかけること。
3) 国際メディアのチベット入りを許可させること。
4) ゲンドゥン・チュキ・ニマ(11世パンチェン・ラマ)、トゥルク・テンジン・デレックを始めとする全ての政治犯を解放させること。
5) チベット内で行われている「愛国再教育」を止めさせること。

_DSC7584今回の無期限ハンスト参加者3人の略歴:(参照TYCホームページhttp://p.tl/woCH)
1)11世シンサ・リンポチェ・テンジン・チュキ・ギェルツェン。
1980年1月15日アムド、青海湖地区ボンタクに生まれ、13歳の時ダライ・ラマ法王により第10世シンサ・リンポチェとして認定されゴロ、ラギャ僧院に入った。

シンサ・リンポチェの系譜はゲルク派開祖であるジェ・ツォンカパの母親の生まれ変わりである。ちなみに父親の系譜は最近日本にも来られたアキャ・リンポチェである。

1997年インドに亡命しセラ僧院で学ぶ。2011年ゲシェ位を得る。

2008年にはチベットへの「帰還平和行進」に参加。その他、著者やネットを通じ、チベット問題解決のために常に勢力的な活動を行われている。

2)ドルジェ・ギェルポ。
1953年3月5日、チベット、キドン・パンシン地区に生まれる。1960年ネパールに亡命。1965年インドに移動し、学校に行く。1978年メインパットの地区チベット青年会議委員となる。1992年アメリカに渡る。
アメリカに移民したのちもTYCのメンバーとして常に活発な活動を続けている。

3)イシェ・テンジン。
1973年3月15日、インドで生まれる。ダルハウジで教育を受ける。
2004年から2期に渡りハーバープールの地区TYC議長を務める。
インドに置けるTYCの活動に積極的に参加し続けている。

120229093728AO写真左は7日目に「中国民主党」のメンバーが連帯を示すために3人を訪れた時のもの。
今日4日にはハーバード大学の研究員であり、著名な中国人民主活動家でもある楊建利氏が一日ハンストに合流した。

1203020436396E先月末からスイスのジュネーブで行われている第19会国連人権委員会において、アメリカの特使マリア・オッテロがチベットの人権侵害に対する動議を発動し、委員会はチベットの人権侵害に関する声明を発表した。
さらに、チベット人、ウイグル人、モンゴル人地区に調査団を派遣すべきだという勧告も行った。(この部分参照3月1日付Tibet Post:http://p.tl/1ign 3月2日付phayul: http://p.tl/FMzH

これは、このハンストを含めた国連に対する圧力やロビー活動の成果の一つと言えよう。しかし、このような人権委員会の声明はこれまでにも何度となく発表されている。そして中国はこれを無視し続けているというのが現実である。何らかの制裁を伴う決議が国連本体によって決定されない限り、実際の効果は期待できない。

_DSC75713月2日にダラムサラで行われた無期限ハンストへの連帯を示すヴィジル。

TYCはハンストが2週間目となる6日に彼らに対する一斉連帯行動を行うよう要請している。

中国系NTDテレビの無期限ハンストニュース(英語)

TYC制作の無期限ハンストビデオ(チベット語)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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