チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月20日
早急な葬儀を強要されナンドルは夜中火葬/焼身抗議者発生地地図と簡単まとめ
ザムタン・チョナン僧院、僧侶2500人を抱えるチョナン派総本山(写真:ザムタン・チョナン僧院ホームページより)
中国当局の強要と脅しにより、昨日ザムタンで焼身抗議を行い死亡したナンドル(18)の遺体は夜中過ぎに大勢のチベット人僧俗が見守るなか火葬された。
昨日正午(午後2時との報もある)頃、ンガバ、ザムタン県バルマ郷のザムタン・チョナン僧院(サムドゥップ・ノルブ・リン)の傍で焼身し、その場で死亡したナンドルの遺体は、僧院内に安置され、付近の僧院からラマたちも集まり法要が行われていた。しかし、当局はその日の内にできるだけ早く遺体を処分するよう命令し、命令に従わない場合は遺体を持ち去るために僧院内に突入すると脅した。
チベットの慣習に従えば、遺体は数日間の法要を経て鳥葬又は荼毘その他が行われる。しかし、僧院は部隊に囲まれており、僧院側も命令に従うしかないと判断し、遺体は夜中過ぎに僧院裏の丘で火葬に付された。
現地と連絡を取る事ができた在印チョナン福祉会のツァンヤン・ギャンツォによれば、ナンドルは遺書を残しており、その中で「私は雪山チベットのために命を投げ出すのであるから、家族や友人たちは私の来世を心配したり、死を悲しまないでほしい」と書かれていたという。
葬儀にはザムタン・チョナン僧院の僧侶のみならず、付近の僧院、尼僧院からも1000人以上の僧尼が集まり、俗人も大勢集まった。これに対し、当局は部隊を派遣し、葬儀場の周辺を取り囲んでいるという。
参照:Tibet Times:http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=5594
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以下、これまでの焼身抗議者について簡単にまとめる。
氏名等は「チベット式」http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2012/02/20092-40c0.html を参照して頂きたい。もっと詳しくは過去ブログへ。
2009年2月27日の僧タペーの焼身以来これまでに焼身抗議を行ったチベット人の数は23人。この内死亡が確認された者は15人。
ただし、これは2月3日セルタの3人(内1人死亡)を未確認として入れない数字だ。この3人を入れれば26人、死亡16人という事になる。以下はこの3人を入れない場合の数字。(ただの数字ではないが…)
2009年、1人:ンガバ州ンガバで1人。
2011年、計12人:ンガバ州ンガバで8人、カンゼ州タウで2人、カンゼ州カンゼで1人、自治州チャムド地区カルマで1人。
2012年、計10人:ンガバ州ンガバで6人、ゴロ州ダルラで1人、ジェクンド(玉樹)州ティドゥで1人、ツォヌップ州テムチェンで1人、ンガバ州ザムタンで1人。
アムドで18人、カムで5人。
男性20人、女性3人。最年長40才代前半、最年少17歳。
高僧(リンポチェ)1人、その他僧侶10人、尼僧3人、俗人9人。
死亡確認15人、7人当局に連れ去られ生死不明、1人僧院内治療中。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)