チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月17日
<速報>再び今日焼身抗議 僧侶死亡 青海湖の西で
焼身死亡の僧ダムチュ・サンポ(写真free Tibetより)
以下、Tibet Times: http://p.tl/gDeN とTibet Express:http://p.tl/vseUに先ほど出た記事を合わせて報告する。
今日17日早朝6時頃、アムド(青海省)、テムチェン・ゾン(海西モンゴル族チベット族自治州天峻県)センゲ郷(མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན་ཐེམ་ཆེན་རྫོང་སེང་གེ་ཞང་)にあるボンタク僧院(བོང་སྟག་དགོན་པ་正式名称:エーバム・タレ・シェトック・タルゲリンཨེ་ཝྃ་ཏ་རེ་གླིང་)僧侶ダムチュ・サンポ(དམ་ཆོས་བཟང་པོ་)、38歳が僧院内で中国政府に対する焼身抗議を行い、その場で死亡したという。
僧ダムチュ・サンポはセンゲ郷第2地区アルギュル家、父ツェデ・タクラの息子(སེང་གེ་ཤང་རུ་ཁག་གཉིས་པའི་ཨར་རྒུར་ཚང་གི་ཕ་ཚེ་འདས་སྟག་ལྷའི་བུ་)。母は幼少時に亡くなっており名は不明。兄弟の内最年少。1994年から97年にかけ南インドのデブン・ゴマン僧院で学んだ事がある。彼は僧院の元戒律師であり、経学の先生でもあった。さらに中国側が設ける僧院管理委員会の役員でもあった。
このボンタク僧院は数年前から当局の厳しい監督下にあったという。事の始まりは、数年前に地域で銀鉱山開発が始まったことに対し、当僧院のケルサンという僧侶がこれに反対したとして逮捕され懲役刑を受けたことにあるという。それ以来、度々武装警官等が僧院に来て僧侶たちに嫌がらせを行い、「言う事を聞かなければ僧院を閉鎖するぞ」と脅していた。
そして、今年の中国の正月以来(この地区ではチベットの正月も重なっていた)、センゲ郷には警官が大勢配備され、特に、正月の後行われる恒例の祈祷際の時、焼身抗議者への追悼を表す法要等が行われないようにと、ボンタク僧院内には監視のための役人や武装警官が常住するようになっていた。これに対し、僧ダムチュは、出て行ってほしいと要請し、「もしも出て行かない場合は、これから先僧院で何が起ころうと、その責任は全てあなた方にある」と部隊に向かって明言していたという。
彼の焼身後、今、僧院には大勢の部隊が入り、僧房一つ一つに押し入り厳重な検査が行われており、周辺一帯に緊張が高まっているという。
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追記:この事件に関する亡命議会の声明(チベット語)>http://p.tl/QnGY
phayul記事(英語):http://p.tl/T-25
free Tibet 記事(英語):http://p.tl/YrT0
RFA英語版:http://p.tl/8Xuk
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)