チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月11日
ツツ司教がダラムサラに
今日のダラムサラはツツ司教の笑いという一日だった。その「ヒヒヒ….」という笑い方は法王の「ひひひ….」に比べ、より高音で引きつるような感じであった。これが出る度に会場はどっと湧いた。
朝9時ツクラカン集合と招集がかかったが、フライトが遅れたとかで到着は11時だった。空港までお迎えに行かれた法王も、さぞお待ちになったことであろう。写真は3人(法王、ツツ司教にツツ司教の奥様Nomalizo Leah Shenxaneさん)が手を取り合って会場に入場された時。
お互い「ベストフレンド」と呼び合う間柄、終始笑顔で歓談されていた。
ツツ司教がダラムサラに来られるのは初めてのこと。法王は以前より司教をダラムサラに招待していたという。今回、司教はデリーで行われた「幼少女結婚」に反対する国際会議に出席したついでに日帰りでダラムサラに来られたのだ。去年、司教の80歳の誕生日に法王を招待したが、南アフリカ政府が中国の顔色を伺いビザを発給しなかったので、法王は行くことができなかった。今日ツツ司教はスピーチの始めに「今日が本当の私の誕生日だ!」と嬉しそうに述べられた。
これに反応し、会場には「Happy Birthday to you! Happy Birthday to you! Happy Birthday to Desmond Tutu! Happy Birthday to you!」の合唱が響いた。
法王がまずウエルカムスピーチ。
「さむ~い、さむ~い、ダラムサラにようこそ!本当は今日は暖かいのだ。緑や花はないが、今日は美しい良き日だ。こんな時にあなたを迎えられてうれしい」
「今日は世界の有名人をこんな小さな町に迎える事ができてうれしい。有名というも、何か特別の事件があって有名になったというのではなく、年々、その一生をかけて他の人々の福祉のために偉大な貢献をし続けている有名人を迎える事ができて本当にうれしい。我々はみんな喜ぶべき、栄誉と感ずべきなのだ。みんな彼に心より敬意を示して貰いたい。みんな拍手してほしい」
「私はこれまでに平和賞受賞者が集まる会議で何度も彼に会って来た。彼は愛に基づいた不害の精神、誠意、平等等を特に訴える。例えば、南アフリカは彼とネルソン・マンディラ氏の努力により、非暴力の内に民主、平等、真実の社会改革が行われたのだ。特に問題が起こり、人々の間に憎しみの感情が増す時、彼はその憎しみを溶かし和解させることに特別の力を発揮した」とツツ司教を讃えられた。
法王「ツツ司教は私のことをMischievous Dalai Lama (いたずらっぽいダライ・ラマ)と呼ぶ。だから、今日はこっちからMischievous Bishopと呼ぼう。アハハハハハ….」
「会う度に、遊び心が湧き、冗談を言い合う間柄だ」
「あなたの和解の精神は少なくとも今世紀中、語り継がれるであろう」と。
いよいよ、ツツ司教がスピーチ。
上に書いたように、最初に会場を埋め尽くした地元のチベット人を眺めながら「美しい人々よ。美しい人々よ。ありがとう。ありがとう。これで80歳の誕生日をまともに祝うことができた」「おお、あなたたちは本当に美しい人々だ」と繰り返す。
法王を「これまでに私が会った人の中でもっとも尊い人だ」と表現し、北京に対し「ダライ・ラマは分裂主義者でも危険な人物でのない」と言う。
「私は北京の指導者たちに言いたい、ダライ・ラマは如何なる兵隊も銃も持っていない。ダライ・ラマと彼を慕う人たちはチベットの独立のために闘っているのではなく、中国の憲法が認める自治を求めているのだ」と述べ、
「我々はあなたたちにお願いすると同時に知っておいてほしい、ここは道徳的世界なのだ。不正や弾圧や悪意は決して長続きしない」と続けた。
「法王は世界中の人々に愛されている。シアトルでの事だが、ダライ・ラマは6万人を収容するフォットボールスタジアムを一杯にすることができるのだ。いや、私は嫉妬してる訳じゃない。6万人の人々が待ちわびていたのだ、英語もろくにできないのにだ。いや、嫉妬してるわけじゃない。ヒヒヒ…」「そんなとこで、法王は私の髪をひっぱろうとしたのだ。いや、私には髪の毛はないが。私は『みんなが見てる。聖人のように振舞はないと』と言った。ヒヒヒ…….」「彼はこの世でもっとも愛らしい人だ」
最後に「私はいつかあなたのいるチベットを訪問する。神に祈る、自由なるチベットに入ることができますように」と。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)