チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年2月9日

8日焼身チベット人の名はリクジン・ドルジェ(19)/ティドゥで1400人が抗議行進/ナンチェンで「ラカル」活動

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61e04755jw1dpvxn5jklqj写真左は最近治安当局が「どうだ怖いだろう」と発表した写真(微博より)

昨日8日ンガバで焼身したチベット人の身元等が明らかになった。情報を伝えたのはいつものようにダラムサラのキルティ僧院僧侶カニャック・ツェリンだが、焼身抗議者のこととともにメールでは他のンガバ関連の情報も報告されていた。今日は最初にこのンガバ情報を伝えた後、昨日ケグドとナンチェンで行われた抗議活動についても報告する。

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8日ンガバで焼身のチベット人の身元判明 その他ンガバ近況

昨日8日、ンガバの第二小学校の前で焼身抗議したチベット人の名前はリクジン・ドルジェ(རིག་འཛིན་རྡོ་རྗེ་༼རྒྱུན་དུ་རིག་པེ་ཟེར་༽ニックネーム:リクペ)、19歳と判明。住所はンガバ県メウルメ郷第二地区(རྨེའུ་རུ་མའི་རུ་ཆེན་གཉིས་པ་)。ガルパ・ツォンコ家の息子(མགར་བའི་བརྩོན་ཁོ་ཚང་གི་བུ་)。父の名はツェンコ、母の名はドゥンカル。

焼身抗議の後すぐに地区の警官と軍が彼を運び去り、最初ンガバの病院に運ばれた後バルカムの病院に移送されたという。8日の夜現在重体と伝えられている。

リクペは6人兄弟の末っ子で、幼少時にキルティ僧院僧侶となった。性格は控えめで僧院ではハトの飼育係りをしていたという。彼は優しく、仕事に励む子供であった。2010年に還俗し、その後は家の牧畜の仕事を手伝っていた。腹違いの兄弟であるラプテンが今ダラムサラのキルティ僧院で勉強している。

その他、5日にはンガバ近郊のチョナン・セ僧院(ཇོ་ནང་བསེ་དགོན་པ་)の僧侶たちが夕方、抗議のキャンドル行進を始め、街に向かって歩き始めたが途中保安部隊に阻止されたという。その後僧侶たちは僧院の周りを右遶。拘束者が出たかどうかは不明とのこと。

AlBUvQRCQAAXxOy写真左:2010年10月にダルツェドで撮影された装甲車。横に「蔵漢一家族」と書かれた横断幕がくっつけてある。家族に装甲車を送りつけるのが漢族ということか!?中国式ブラックジョークである。
これを撮影した漢人は「町をぶらぶらしている時ちょうど武装警察による国慶節の軍事パレードに出会った。わ~、装甲車はなんて威風堂々だなあ!」とコメントしたとか。

ンガバ・キルティ僧院では1月25日から2月8日に渡り恒例の大祈祷祭(モンラム・チェンモ)が行われたが、期間中平服に変装した警官約400人が僧院に常住し警戒が続いた。この4日間、警備体制が強化されンガバの人々はどこに行こうと、どこに留まろうと尋問を受け、身体検査され、嫌がらせを受けたという。特に8日の朝からはンガバに通じる全ての道路で検問が強化され、道には軍人と警官が溢れ、人々はどこにも出かけることができない状態となった。

同様に大祈祷祭が行われていたセ僧院、アンドゥ僧院、ゴマン僧院ではこれに参加する僧侶や一般人に対し保安部隊が嫌がらせと脅しを繰り返したという。

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P10112461ケグド(ジェクンド、玉樹)、ティドゥで1400人が抗議デモ

(写真は全てRFAより)
RFAチベット語版http://p.tl/6umb 同英語版http://p.tl/scdn その他が伝えるところによれば、8日午前10時頃、ケグド(ユシュ、青海省玉樹チベット族自治州)ティドゥ県(ཁྲི་འདུ་རྫོང་称多県)ガトゥ郷ニャツ村(སྒ་སྟོད་ཤང་ཉ་འཚོ་སྡེ་)にあるシルカル僧院ཟིལ་དཀར་དགོན་པの僧侶約400人が様々なスローガンが書かれた横断幕を掲げ、郷の中心であるガトゥに向かい行進を始めた。

yulshul-tridu-district-protest-305slide-300x177シルカル僧院

横断幕には青と赤の文字で「ダライ・ラマ法王をチベットにお迎えしよう」「パンチェン・ラマを始めとするすべての政治犯を解放せよ」「チベット人よ連帯しよう」「チベット人の命を尊重せよ」「チベット語を尊重せよ」等と書かれていた。

彼らは12キロ程先にある郷の中心地に向かい2時間程歩いたが、その手前の橋に来た時、軍隊が大勢現れ行く手を遮られた。これを知り地元のチベット人約1000人が僧侶たちの抗議に参加し、スローガンを叫びはじめた。

ngatso3この際、部隊は彼らの行進を阻止しただけで、暴力を振るったり、発砲したり、拘束したりは行わなかったという。「好きなだけそこで叫んでおれ」と言ったらしい。抗議参加者たちはその場で2時間ほど声を上げたのち僧院に引き上げたという。

同じティドゥ県ではザトゥ郷で5日、4人の若者が公安事務所の前で「チベット独立!チベットには自由がない!法王帰還を!」と叫び、即刻逮捕されたという事件も起きている。参照Tibet Express http://p.tl/QZ2t 等。

なお、ティドゥ県の位置は>http://p.tl/N6Gm

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002ナンチェンでチベット人が「ラカル」活動

この件に関してはウーセルさんがさっそく9日付のブログで詳しい報告をされている。そしてこれを@uralungtaさんが速攻で翻訳して下さった。以下「ちべログ@うらるんた」から本人同意の下、これを転載させて頂く。(写真は全てウーセル・ブログより。ナンチェンも玉樹チベット族自治州の中にある)

2月9日付ウーセルブログ「“拉嘎”之日,康囊谦藏人开展“拉嘎”活动」を翻訳
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/02/blog-post_09.html

「ラカル」の日、カムのナンチェン(ནང་ཆེན་)のチベット人たちが「ラカル」アクション

昨日(2012年2月8日)の水曜、「ラカル(Lhakar:聖なる白い水曜日)」、チベット本土のチベット人たちの間では携帯電話のSMSで、チベット服を着て寺院に参り灯明を灯して民族の英雄をたたえよう、という呼びかけが次々に転送された。このため各地の地方政府当局は非常に警戒を強め、軍人、武装警察がチベットエリアに進駐し、通りの各交差点には検問を設け厳しく取り締まった。すなわち、各チベットエリアのすべての単位(企業、学校、官公庁機関などすべての事業所)が主要道路を区間ごとに分担し、「ラカル」期間中はそれぞれの区間で当直に当たった。聞くところによれば、どこかの区間でなにかが起こったら、担当単位(機関、事業所)の職員は誰であろうと懲罰は免れないのだという。

003カム地方ナンチェン(青海省玉樹州嚢謙)では、既に進駐した軍隊と警察によって可能な限り厳密に封鎖された状態になっていた。しかし2月8日午前、400~500人のチベット人が町の中心にある運動場に集まった。ほとんどは俗人で、男性も女性も老いも若きも、住民に商店主に店員に牧畜民すべており、なかでも多かったのは若い世代の人たちだった。彼らは全員チベット服を身につけ、ツァンパと持ちサン(チベットの香)を焚き、運動場内にあぐらをかいて座って読経した。同時に彼らは乾いたツァンパを丸呑みした。このことによって、何一つないということと内心の苦痛を表現し、またダライ・ラマ法王の長寿を祈る真言を口にし、またあるいは「ダライ・ラマ法王に永遠の世よあれ」、「チベットには自由が必要だ」と高らかに叫び、またある者はその他の経文を唱えた。

銃を持った軍人と武装警察が運動場を取り囲んだが、チベット人は「キーヒヒヒヒ」という叫び声を上げたため、軍隊と警察は退いたものの、そう遠くない場所で見張った。また公安と現地の地方当局幹部が運動場の外までやってきた。しかし運動場内のチベット人は解散することなく、ひたすら読経し祈り続けた。

これと同じころ、別に数百人のチベット人がナンチェン町内の大寺院本堂(カギュ派に属する)に集まった。彼らもチベット服を身につけ、ツァンパを口にしながら寺院の周囲をコルラ(右回りに参拝)した。数多くのチベット人が、さらに伝統的な習わしに従ってツァンパを空中に投げ上げて撒き、また香を焚きながら真言を唱えた。一部のチベット人はマスクをしていたが、多くのチベット人は隠れはばかる様子はなく堂々とふるまった。

001町内中心部の大寺院本堂や付近の寺院は、公安や軍隊と警察により厳しく封鎖され、僧侶が体育館や大本堂に行ってこの「ラカル」活動に参加することは禁じられた。また平服のスパイも民衆の中に紛れ込んでおり、参加者の写真を撮っていた。

聞くところによるとナンチェンのチベット人の「ラカル」アクションは、ジェクンド(ケグド)州と青海省に即座に報告され、州と省政府は既に、さらなる大規模抗議活動が起こらないようにしろ、そうでなければナンチェン現地の政府職員を罰することになる、という指示を通達した。

北京時間午後7時半の頃、空がすっかり暗くなり、極めて寒く冷え込むまで、ナンチェン民衆の「ラカル」は続き、ようやく終了した。軍隊と警察はその間ずっと周辺を緊張した状態で封鎖し、一触即発の状態が続いて心配されたが、幸いなことに最終的に衝突は発生しなかった。これは「秋後算帳(秋が過ぎてから帳簿を計算する:あることが一段落した時期をはかって[ほとぼりがさめた頃に]報復する)」なのでしょうか。どうみるべきか、これはまだ難しい。

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ラカル(Lhakar):
「神聖な曜日」「純白の曜日」として、ダライ・ラマ法王の誕生日である水曜日を賛美する形容詞。毎週水曜日に、チベット人はチベットの服装、言語、習慣を丁寧に実践することでチベットの文化伝統を守ろうという行為。なかには「純粋なチベット語を話そう、伝統的なチベット服を着よう、伝統的なチベット料理を食べよう」などが含まれる。
「ラカル」(Lhakar)はチベットの非暴力・非協力抵抗運動である。言語、服装、食品などの角度から、チベット人の立場と民族精神を高めようとしている。
このように言えば、「ラカル」(Lhakar)はチベット人が人為的に社会、経済、文化などの各方面で権利の実践を試みる場である。ラカルの日、すなわち毎週水曜日は、すでに国境内外のチベット人たちが「チベットの日」だと認識している。

その他、うらるんたさんはラサの状況等を伝える微博への投稿をいろいろ翻訳して下さっている。
以下、参考までにそのURLのみ紹介する。
http://uralungta.tumblr.com/post/17309594643
http://uralungta.tumblr.com/post/17309916014
http://uralungta.tumblr.com/post/17311547177
http://uralungta.tumblr.com/post/17312170997

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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