チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月6日
ザチュカ(セルシュ、石渠)で抗議活動/亡命政府外務大臣記者会見と新ビデオ
写真左は最近本土から送られて来たもの。去年10月17日ンガバで焼身抗議、その場で死亡した尼僧テンジン・ワンモ、20歳。討論中の写真と思われるが、なんともあどけなさが残る、赤い頬も可愛く純真そのものな姿。詳しくは過去ブログ>http://p.tl/YiHR
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事件のあった地域は次々情報が遮断され、3人焼身抗議の続報を含め、外部から各機関が懸命に連絡を取ろうとしているが、続報は入らない状況が続いている。そんな中、カンゼチベット族自治州の北端ザチュカ(セルシュ、石渠)で4日抵抗活動が行われたというニュースが新たに入っている。また、亡命政府は今日外務大臣が記者会見を開き、新たに製作したビデオを紹介、内地の現状等を報告した。
最初にザチュカの件を報告し、後、ビデオと記者会見の様子を簡単に紹介する。
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<ザチュカで中国国旗が降ろされチベット国旗が掲揚される>
今日付けTibet Express http://p.tl/cXrN 及びTibet Times http://p.tl/lDPF によれば、4日早朝、カム、ザチュカ県ウォンポ郷(རྫ་ཆུ་ཁ་དབོན་པོ་ཞང་ セルシュ、四川省甘孜州石渠县温波乡/場所は、地図>http://p.tl/dukQ)で、チベット人が中国政府への抗議の印に学校に掲揚してあった中国国旗を下ろし、代わりにチベット国旗を掲揚するという事件があった。
地区では前日の3日から抵抗を訴えるチラシが撒かれており、この日も同様のチラシが撒かれたり、張り出されたという。当局はすぐに大勢の武装警官を現地に派遣し、交通と情報網を遮断。街とボンボ僧院は特に厳重な警戒下に置かれている。商店もシャッターを降ろすよう命令された。現在現地には電話が通じず詳細は不明。
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<亡命政府外務大臣記者会見>
以下は今日ダラムサラの情報省で行われた記者会見の時に発表された08年以降の中国当局のチベット人弾圧、及びこれまでの焼身抗議者を報告する亡命政府制作のビデオ。
記者会見の席上、外務大臣のデキ・チュヤン女史は3日にセルタで再び3人のチベット人が焼身抗議を行ったことを報告し、今後22日のチベットの正月(ロサ)と3月10日の蜂起記念日を控え、本土で益々緊張が高まり、更なる流血の惨事と犠牲者がでることを懸念すると述べた。
また、事態の悪化を防ぐために国際機関が中国に対し、これ以上の弾圧を控えるよう圧力をかけてほしいと要請。
相継ぐ焼身自殺は「中国のチベットに対する政策が新たな弾圧段階に入った」ことを示しており、単なる抗議活動ではない焼身という抗議は「決して無視してはならないものである」
「彼らの要求がチベットの自由であることは明白だ。中国当局はチベット人の苦しみの原因を正しく見て、弾圧ではなく対話により問題を解決しようとすべきである」と続けた。
質問の中で「もしも、この先数ヶ月の内に焼身抗議者が200人のでるような事態になったらどうするつもりか?」というのがあった。
これに対しデキ女史は「その時はその時で、対応を考えるしかない」と。
質問者さらに「そのような消極的な態度でいいのか?政府として積極的な今後の計画とか、政策はないのか?」
デキ女史「全ては本土の人々の意思による。彼らが主人であり、我々ではない」と。
「じゃ、本土の人々は『チベット独立』と叫んでいるのに、亡命政府は『中道』ということでいいのか?」と聞く人はあえていなかった。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)