チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年2月5日

ウーセル・ブログ「ルンタよ、どうかアンドレを守ってください……」伝統的チベット建築保存のために尽くした1人の建築家を偲び

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founding_of_Jokhang_low写真:最初と次はTHFのホームページより。その他はウーセルさんのブログより

今日はウーセルさんが、最近亡くなった1人の建築家を追悼した文章を紹介する。アンドレというドイツ人建築家は47歳という若さで心臓発作により亡くなった。彼とその仲間たちは、伝統的チベット建築保存のために全力を尽くした。多くのチベット人を雇い、元政治犯等も雇っていたと聞く。THF(Tibet Heritage Fund http://p.tl/g2tn)というNGOを立ち上げ、長年ラサを拠点として多くの計画に関り、ユネスコの賞も得ている。しかし、中国当局はチベットの伝統的建築を保存しようとする彼の活動を評価せず、好ましいものとは思っていなかった。そして、2002年彼とその団体をラサから追い出した。この事は中国が伝統的チベット建築を保存しようとは思っていないということを象徴している。

sofi_windowkids彼はその後ラダックに拠点を移し、引き続き伝統的チベット建築保存の仕事を続けていた。私は去年の夏、アンドレから連絡を受け、ラダックの仕事をやってくれないかというオファーを受けた。その仕事は巨大なので私は躊躇し、そのときは否定的返事しかできなかった。個人的に彼にあった事はないが、彼の噂は聞いており尊敬すべき活動を行っていると高く評価していた。突然彼の死の報告を知り、同じチベットに関わる建築家としてショックが大きく、おしい人を無くしたと感じた。

原文:2月1日付けウーセル・ブログhttp://p.tl/XBsk
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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163922_488122994794_535949794_5841145_795522_n◎ルンタよ、どうかアンドレを守ってください……

アンドレには2回会ったことがあるだけだが、ずっと彼について書こうと思っていた。以前に1本、彼とチベット・ヘリテージ・ファンド(THF)がなぜ当局によってラサを追い出されたかを書いた。しかし、彼はまたいつかラサに戻ろうと思っていたから、「発表しないでほしい」と言っていた。

彼が送ってくれた分厚い写真集「ラサの僧院」のページを私は度々めくった。著者は彼、アンドレ・アレクサンダーだ。写真には彼の目に映るラサがあったが、ラサはもう変わってしまった。多くのラサ人は彼をよく知っていて、皆がアンドレと呼んでいた。背が高くやせた姿、カールした金髪を知っていた。毛織物の上着を好んでいたことを知っていた。

n535949794_581206_1736THFが作った小さな画集「ラサ・バルコルの歴史的建造物」は私の大のお気に入りだ。手書きの白黒地図、折りたたまれたページ、本当のチベット紙のような紙質。とても小さな秘密の博物館のように、紙の上に描かれたバルコルを見せてくれる。精密でいて質素な描写の中に私はラサ人の暮らしを探した。この本は限りない想像力と懐かしい感覚を与えてくれ、どれだけ見ても見飽きることがなかった。しかし、もう欠けてしまった建物やまだら状になった町並み、崩れた陰影が照らし出していたのは、深いため息をつかせるラサの現状だった。

1980年代末、このドイツ人は初めての訪問でラサを深く愛し、何度も訪れるようになった。しかし、ある年の夏、彼はいくつもの古い住宅が完全に崩れるのを目撃した。「現代化」のスローガンを追求する中、ラサの人口は1949年の3万人から数十倍に跳ね上がった。古い物と新しい物が猛スピードで入れ替わる中、平均して35棟の古い住宅が毎年取り壊されていた。このまま続けば残った古い住宅は数年でほぼ消え失せる。アンドレは衝撃を受けた。

167795_494189993118_784193118_5792139_6567894_nアンドレはラサで古い建物の修復を始めたが、役人たちは日が経つにつれて憂鬱な気持ちになった。ある時、彼は文化遺産を評価する国連の専門家に「このデパートの場所には、300年の歴史を持つ貴族の邸宅がありました」と説明した……。2002年にラサを追放された後、彼とTHFは北京の胡同を保護しようと努力したが、ほとんど何もできなかった。ヒマラヤのラダックなどに行き、歴史的な民家や僧院などを修復しているという話も聞いた。私はフェイスブックでそうした写真を見たことがある。彼はいつも廃墟や修復中の建造物とともにあった。

2カ月前、私はアンドレに連絡した。巨大デパート「神力タイムズ・スクエア」を建設するため、ラサ旧市街で地下水のくみ上げ作業が続いており、市民が不安を感じていたからだ。私はアンドレに「これは(環境や歴史的建造物の)破壊につながるのでは」と尋ねた。アンドレは心を痛めて答えた。「あちこちで水力発電所を建設しているから、水はチベットで大きな問題になっている。ラサでも環境はもうひどく破壊、汚染された。貪欲な役人の支持の下で、貪欲な開発商がラサの谷間を大工場へと変えた。もし(市内の)ラル湿地(注1)が干上がったら取り返しがつかない」

本当はほかにも聞きたいことがあった。去年出版した「チベット:2008」で彼について書いたということも本当は伝えたかった。しかし、アンドレは47歳の誕生日を過ぎたばかりだというのに、心臓発作のため1月21日にベルリンで亡くなった……。私はフェイスブックで彼の写真を一枚一枚開き、ラサにいた頃の最も美しい青春の表情を見つめた。

アンドレのかつての恋人ラリ・ツォは私たちが会う時の通訳だった。彼女はひどく悲しみ、アンドレのエピソードを書き送ってきた。

「アンドレはチベットの建築と自然に心を奪われ、愛情を抱いていました。彼は毎日何度でもジョカンやラモチェ、ほかの小さな僧院を往復できました。ラサの道端で売られているフライド・ポテトが一番好きだと話していましたが、どんどん味が落ちていったので、こっそり『ギャミ(漢人)が作ったのはまずい』と話していました。

彼のラサの土地勘には本当に敬服します。旧市街を回る時、私はいつも彼について行きました。彼の足取りは軽く、細い路地を毎回探し当て、私をとても驚かせたんです!

2003年以降、ラサの環境変化には泣くに泣けない気持ちでした。バルコルを歩いている時、急に立ち止まって右手であごを押さえ、しきりに首を横に振ることがありました。彼の青々とした目はうるんでいました……。

その後も繰り返しラサに行っています。2008年には両親を連れてアムドに行き、鉄道でラサに入りました。2010年にも、また1カ月前にもラサに行ったばかりです。

アンドレはアメをなめるのが好きでした。映画も好きで、アニメのストーリーに泣くこともありました。14、15歳の頃からベジタリアンになっていましたが、指先をかむ癖があったので、私は『自分の肉を食べてるのね』と笑いました。スイス・ナイフの小さなはさみで自分の髪を切るのが大好きでした。一番リラックスでき、とても楽しんでいる様子でした……」

ある友人がアンドレのフェイスブックにコメントを書き込んでいた。それは私がアンドレに伝えたいことでもあった。「ヒマラヤの建築遺産保護はこれまでのようにはいかないよ。アンドレがもういなくなったからね。ヒマラヤとチベットのルンタが君を空高く真の安らぎへと導きますように。そして、君の旅が新しい発見で満ちあふれますように。インドとチベットの神々に出会い、君の物語を分かち合えますように。友よ、優しい魂よ、良い旅を……」

ルンタよ、ルンタよ、どうかアンドレを守ってください……。

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注1:ラル湿地。ラサ北西にある広大な湿地帯。世界最高地点にある湿地帯という。年間61000トンの酸素を発散し、78800トンの二酸化炭素を吸収するという。酸素の薄いラサの酸素バーと呼ばれている。野鳥の宝庫としても有名。以下で写真を見る事ができる。
http://en.tibetol.cn/01/04/59/

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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