チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月3日
セルタより<貴重写真>届く
ダンゴに続いて昨日セルタからも貴重な写真が20枚近く亡命側に伝えられた。セルタでは24日に部隊の発砲があり、少なくとも2人死亡しその他大勢が被弾負傷した。写真のほとんどは24日発砲があったセルタ広場で倒れたデモ参加者を部隊が引きずって行く写真である。写真を入手したのは在インドのセルタ出身者セルタ・ツプテンという。
まず、最初にダワ・タクパの葬儀の写真を紹介し、その後新しく入った情報と共にセルタ広場の写真を紹介する。
以下、主な参照記事は2日付けTibet Express http://p.tl/bLmY
セルタで銃殺されたダワ・タクパは25歳、タクシー運転手であったという。彼の葬儀は2月1日セルタ、ラルンガルの鳥葬場にて行われた。写真を見ても分るように相当数のチベット人が参加している。葬儀には彼の生前の写真が入った額入りのポスターが掲げられた。写真の下にはチベット語で「2012年1月24日、チベットの自由のために命を落とした、カム、セルタの愛国勇者ダワ・ダクパに感謝の意を表明する」と記されている。
24日以降の状況については当局の情報網と交通網切断により新しい情報はほとんど入っていない。以下、24日に到るまでのセルタで起こった主な抗議活動をまとめて報告する。2008年の3月にはもちろんセルタでも大きな抗議デモが起こり弾圧されている。その後散発的に何度も抗議デモは起きている。
去年10月1日の国慶節の日に広場に面するビルの屋上にチベット国旗と法王の写真が掲げられた>詳細は過去ブログ>http://p.tl/et3V
続く10月17日にはセルタ県ツェシュル・デバ郷でデモがあり、この時当局はデモ参加者に向け発砲し負傷者がでている>詳細過去ブログ>http://p.tl/f4bI
今年に入り1月16日にはセルタの中央広場にある金馬像(地名であるセルタはセル=金、タ=馬で金の馬の意)の前でショロク村出身の僧侶2人が「神々に
勝利あれ!ダライ・ラマ法王の長寿を!」等のスローガンを叫びルンタを投げ上げた。武装警官が駆けつけ彼らを拘束しようとしたが、周りのチベット人が集まり拘束を阻み、抗議のスローガンを叫んだ。この時から街には保安部隊がさらに増強されたという。
1月22日にはショルトゥマのドゥンユ・ニマとショルメマの僧侶が広場で「チベットに勝利を!」と叫びを上げが。部隊に打ち据えられ拘束された。この時ドゥンユ・ニマの右手が折られたという。
続く23日には焼身抗議を予告するビラが撒かれた。焼身抗議者の遺体を当局に渡すまいと大勢のチベット人が広場等に集結した。これに対し当局も部隊を派遣し警戒に当たったが、この日には衝突は起こらなかった。
24日朝10時頃、数百人のチベット人が抗議デモを行ったが、これに対し部隊が無差別発砲しショレップ村のダワ・ダクパがその場で死亡した。ボンサ村のポポ(35)が撃たれ倒れたがすぐに警官隊が引きずって運び去った。目撃者の話では彼は死亡したであろうという。その他倒れ警察に運び去られた者の内少なくとも3、4人は死亡したであろうと他の参加者がいう。大勢が負傷し、30人程拘束された。
この日大量の武装警官隊が投入され、全ての商店、飲食店は閉めさせられ、外に出た者は発砲されたり、暴行され、拘束された。逃げることができた負傷者も病院等に行くことができず困難な状況の中にあるという。
通りにはルンタが散らばる。逃げ遅れたチベット人を武装警官隊が追いかけている。写真に写っている倒れ引きずられる人たちは被弾し倒れたのか、暴行により倒れたのかはっきりしない。1人は頭から血を流しぐったりしている。武器を持っていないことは確かだ。
今回現地チベット人の命がけの努力によりこのような貴重な写真が外に伝わり、部隊の非情な行動を目の当たりに見る事ができるが、これと同様な光景は特に2008年以降至る所で繰り返されている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)