チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年2月2日
カーラチャクラ法要に参加した本土チベット人たちの受難
今年始めからブッダガヤで10日間行われたカーラチャクラ法要、チベット本土から9000人のチベット人が参加したという。ある人はこの数字を見て、「中国もダライ・ラマ法王に会いに行くためにインドに行くチベット人を大目にみて規制を緩和したのではないか」と言った。本当に中国が規制を緩和したのなら、今回この法要に参加した人の数はこんな分けはなく、軽く数十万人は参加していたことであろう。彼らは様々な試練をくぐり抜けてやっとブッダガヤまで来る事ができた幸運な人たちなのである。パスポートを作るのに数ヶ月いや時には数年を要し、多くの人が金を積んでやっと手に入れている。若者がパスポートを得ることは非常に難しく、年寄りの方が得やすかったという。また、ネパールへの巡礼ビザを取るのも簡単ではない。中国は去年の12月に入りネパールがビザを出すのを止めさせたという。やっとネパールまで出ても、あるものはカーラチャクラに行く前に中国当局から電話が掛かり、カーラチャクラに参加する前に帰ってこなければ処罰すると脅され、泣く泣くネパールから帰った人もいる。
無事ブッダガヤまで辿り着き、法王に会う事ができ、灌頂も受ける事ができた幸運な人たちも、その帰り道でまた困難な事態が待ち構えていた。まず、ネパールに入るとネパール政府からの嫌がらせを受け、数百人が一次拘束された。
一番の難所はネパールと中国の国境ダムである。ここの検問所でカーラチャクラに参加したほとんどのチベット人はきつい尋問と身体検査を受け、法要の最中に貰った経典を取り上げられ、ブッダガヤで土産に買った数珠等一切の宗教グッズを取り上げられたという。ここを通過した後もラサまで何と12カ所の特別検問所を通過せねばならなかった。その間に食料のツァンパやインドで買った服等も取り上げられ、ラサに辿り着いた時にはほとんどの人たちが着の身着のまま状態となっていたという。
それでも、ラサまで無事に辿り着けた人はまだ幸運な人たちだったのだ。1月31日のTibet Net http://p.tl/8qXDによれば、その日31日の朝10時頃、ラサ駅のホームに武装警官隊に囲まれた100人程のチベット人の集団が目撃された。情報によれば、彼らは全員カーラチャクラ法要に参加したチベット人であり、彼らはダムを初め、ラサまでの検問所で拘束された人たちであり、列車でどこかの収容所に連れて行かれたという。おそらく、ブッダガヤで法王やセンゲ首相が何を話したのか等の情報収集とこれからの政治的活動を諌める目的ではないかと思われている。将来的にもインドに行った者はそれが巡礼であったとしても、後でただでは済まなくなるぞという脅しの意味もあると思われる。
今回カーラチャクラに参加した本土からのチベット人のほとんどはお年寄りであった。死ぬまでに一度でいいからダライ・ラマ法王にお目にかかりたいという一心で貯めたお金を使い、辛く長い道中を耐え、様々な不安を抱えながら、見知らぬ言葉も通じないインドまで来たのである。慎ましいこのような人たちを虐めることに何の利があるというのか。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)