チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年1月18日
14日にンガバで焼身抗議を行ったロブサン・ジャミヤン 死亡確認
ダラムサラ・キルティ僧院の情報係り僧イシェと僧ツェリンは17日付メールで14日にンガバで焼身抗議を行った若者の写真を添付し、氏名など詳しい情報を公開した。このコピーをTibet Timesチベット語版 http://p.tl/jWzTで読む事ができる。以下、これを翻訳する。
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14日にンガバでチベットのために声を上げ焼身抗議を行ったロブサン・ジャミヤンは16日、バルカムの病院で死亡した。
今月14日、現地時間1時半頃アムド、ンガバ、アンドゥ地区シェワ村ギャンツォ家、父ギャンツォ、母ハチュンの息子ロブサン・ジャミヤン(ཨ་མདོ་རྔ་པའི་ཨ་འདུས་ཥེ་བ་སྡེ་བའི་རྒྱ་མཚོ་ཚང་གི་ཕ་རྒྱ་མཚོ་དང་མ་ལྷ་ཆུང་གཉིས་ཀྱི་བུ་བློ་བཟང་འཇམ་དབྱངས། )22歳(メールでは22歳、Tibet Timesは21歳と書く)は、ンガバ街中の交差点にある公衆トイレの中で全身に灯油を浴び、火を付けた後「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットに自由を!」と叫びながら道に躍り出た。
近くにいた武装警官や軍人が集まり、火を消す前に左右から鋲付きの棍棒で彼に殴り掛かった。彼を白い布で覆った後も踏みつけるなどの暴力を加えた。これを見た周りのチベット人たちは、彼に対する暴力を見るに耐えきれず、危険を顧みず、武装した武装警官たちから彼を取り戻そうとした。衝突が起こり、武装警官たちはチベット人たちに激しく襲いかかった。この時、多くの人たちが負傷した。メウルマ第2地区のチュキ・ダワ(ཆོས་ཀྱི་ཟླ་བ་)は重傷を負い病院に運び込まれたが生きる望みは薄いと思われている。若者2人も重傷を負った。女性1人の片目が潰された。
その後の発砲により2人の女性が撃たれたが、詳細は不明。多くの人が、撃たれた人はもっといると言う。また、沢山のチベット人が拘束され連れ去られたというが、人数や氏名は未だ伝わっていない。
次の15日には当局は街に市民を怖れさせるための大きなポスターを張り出し、恐怖心を起こさせるための示威行動を行った。それにも関わらず、街には「ロサ(チベット新年/この地区では1週間後)には商店や飲食店は(普段のように)営業しよう。弔いのロサにするために贅沢な食事をせず、普段着を着て過ごそう」と訴えるチラシが沢山撒かれたという。
保安部隊から激しい暴力を受けたロブサン・ジャミヤンは16日にバルカムの病院で死亡した。17日には彼の父親と親戚の何人かが遺体を引き取ろうとバルカムに向かったが、実際に遺体が引き渡されたかどうかは不明である。
焼身抗議を行った愛国勇者ロブサン・ジャミヤンは幼少時に地元のアンドゥ僧院(ཨ་འདུས་དགོན་པ་)で僧侶となった。後、(還俗し)小学校に通っている。2011年に地域で「純粋なチベット語を話そう」という運動が起こった時、彼はシワ村でこの運動を推進する委員会の主要な委員となった。この時、当局は彼に圧力をかけたり、脅迫したという。
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彼の死により、これまでチベット内地で焼身抗議を行ったチベット人17人の内12人が死亡した事になる。彼の死は火傷によるものというより、保安部隊の暴力により殺されたと言うべきであろう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)