チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年1月16日

王力雄「焼身抗議以外に何ができるというのか?」

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以下、1月14日付けウーセルさんブログに掲載された王力雄さんの「チベットの焼身抗議」に関する論考。
@chinanews21さんが翻訳され、自身のブログKINBRICKS NOW (キンブリックス・ナウ)に掲載されたものhttp://p.tl/6uEYをコメント共々転載させて頂く。

—————————————-

「焼身抗議以外に何ができるというのか?」チベット人には変革への希望が必要だ

中国でチベット人の焼身抗議が相次いでいる。絶望に根ざしたその決死の抗議に胸を打たれる人もいれば、命の浪費ではないかと批判的な意見もある。焼身抗議をどうとらえるべきか。中国人作家・王力雄がきわめて示唆的な文章を発表したのでご紹介したい。

王力雄は漢民族の小説家。チベット人作家ウーセルの夫であり、チベット問題やウイグル問題に積極的にかかわり、論考を発表している。
(参照リンク:ウィキペディア「王力雄」)http://ja.wikipedia.org/wiki/王力雄

以下に紹介する文章は2012年1月8日、焼身抗議で死亡した転生ラマ、ソバ・リンポチェの死を受けて執筆された。14日、ウーセルのブログhttp://p.tl/Z_xyで公開された。

004 (3)

焼身抗議以外に何ができるというのか?
王力雄

(1)
焼身抗議のチベット人を私は絶対的に尊重する。各焼身抗議者が願う目標は現実には不可能なものかもしれない。しかし、彼らが明確に意識していないにせよ、彼らが総合的に生み出した作用は民族に勇気を与えている。

勇気は大変貴重な資源だ。特に実体的な資源では劣位にたたされている中で、勇気は往々にして弱者が強者に勝利するカギとなる。焼身抗議には最大の勇気が必要だ。16人のチベット人は天地を驚かせるほどの勇気を見せた。ソバ・リンポチェの焼身抗議でそれは頂点に達した。民族の勇気を奮い立たせるという観点で考えれば、すでにその目的は達成されたと私は見ている。

ゆえに問題は今、変化を遂げた。この貴重な勇気という資源をどう使うのかが問題なのだ。焼身抗議を続ければ、勇気を焼き尽くすことになってしまう。今後の焼身抗議は浪費になってしまうのだ。烈士たちが鼓舞してくれた勇気を使って、実効的な成果を上げなければならない。それこそが先駆者の希望であり、彼らの犠牲の価値である。

(2)
暴力で他者を攻撃していないという観点からみれば、焼身抗議者はかくのごとき献身を示しながらも自らを犠牲にするのみ。非暴力精神の頂点と言ってもよい。しかし、やはり焼身抗議は一種の暴力なのだ。それも高度な暴力である。対象は自分自身だ。

自分に暴力を振るうということ。それは絶望から生まれた抗議や尊厳を守るためのいちかばちかの防御策ではなく、なにか実効的な希望があるがゆえとするならば、それはガンジーが唱えたものと同じものだろう。

それは「我々が受けた深い苦しみは、政府に影響を与えるものかもしれない」という考えだ。あるいはキング牧師の「私たちの堪え忍ぶ力とあなたがたの苦しみを作り出す力とを比べよう。あなたたちの憎しみを使い果たさせよう。あなたたちの良心を呼び起こそう」という言葉と同じものかもしれない。

しかし、この願いが実現するためには、相手に良心が存在していることが前提となる。専制政権のマシーンはきわめて硬い構造と冷酷なロジック、そして官僚の利益によって成り立っている。当時、数千人の子どもたちが天安門広場の死のハンガーストライキを続けた時であっても、彼らは良心を見せることはなかった。

この点こそ過去の非暴力的闘争の限界である。軍配は最終的に、抵抗者ではなく政権の側にあがった。抵抗者たちはたんに圧力をかける力しかなかったのだ。権力が譲歩しなければなんの進展も得られない。現在のチベットが苦境に陥ったのは必然と言えよう。

(3)
では苦境を抜け出る道はどこにあるのだろうか?これこそがまず回答するべき問題だと思う。方向を見失ってはいけない。それでは焼身抗議という壮烈な献身もまた人々により多くの絶望を与えるだけのものとなってしまう。みなは焼身抗議と向き合う中で、感情的な動揺を受けるとともに、この事態の前に茫然自失している。

焼身抗議者には勇気があるが智慧がなかった、という物言いは不公平だろう。智慧とは安楽を貪るための技巧ではない。チベットを苦境から救い出すための大略こそが智慧である。それは一般民衆がもちうるものではない。また政治から退いたダライ・ラマをすべての智慧の源とすることも無責任な行いだ。ダライ・ラマは非暴力原則と中間路線を確立した。この後、どう実現していくかは政治家たちが智慧を出すべきことだ。

今は苦境から脱する智慧を見出すことはできない。中国は片手に金を、片手に刀を握っている。チベットはというと……亡命政府を代表とするならば、声明を発表すること以外に、なにをなすべきか知らないようだ。

勇敢なチベット人に何をなすべきかを伝えて欲しい。何がなるべきか、何をできるのかを知れば、彼らは生きていくことができる。惨烈な焼身抗議によって一時のメディアの注目を集めることではなく、生きていくことができるのだ。

(4)
ダライ・ラマが定めた目標はチベットに本当の自治をもたらすことである。もし最初から民族区の自治を求めていたならば、それは中国政府の「恩恵」に頼るしか実現できないものであった。そうなればかつての努力はすべて幻想だったと証明されてしまう。

ダライ・ラマが中国憲法の枠内での自治を求めている。中国は以前から村民自治の法律を実行している。ならばチベットの本当の自治を求めるのに、なぜチベット人の村々から始めるのは不可能なのだろうか。

本当の自治は最も基層から始まり、次第に上級へと広がり、最終的に民族区の自治にいたる。基層自治を出発焼身抗議点とすることができれば、かならず民族区自治の未来へと通じる。

村落自治は一般の村民の参与によって実現可能だ。これは民衆を主導者とするものでもある。長く緩慢でしかも成果のない(亡命政府と中国政府の)交渉を待たずともいいのだ。銃を突きつけられた中でのデモや烈火に身を投じる抗議をして、中国高官との駆け引きのカードとする必要もないのだ。

(5)
チベットの苦境を突破するにはまず村民自治から始めるべきだと私は考えている。

村民自治において、民族問題は主要な課題ではなく、人権、鉱山開発、環境保護、宗教活動など具体的な問題における権利擁護が課題となる。これは民族主義的対立を回避する助けとなるだろう。中国の民間権利擁護運動とかかわることで、中国全体の権利擁護運動の一部として、中国民衆の広い支持を集めることができる。

広東省烏坎村が最も新しい参照例となろう。同村では、村民が一体となって当局の書記と村主任を追い出した。各一族が代表を推薦し、その代表から村理事会が選出される。これらの自治組織は秩序だった村行政を実現したばかりか、政府の圧力と軍・警察の包囲という苦境の中で、村民の理性とコミュニティの秩序を保証した。最終的に当局とお交渉を通じて、香港メディアが称賛するところの「政府が初めて認めた権利擁護的民間選出の村組織」となった。

チベットの村民と村も同じ成功を収めることはできないだろうか?烏坎村は成功の条件を備えていた。チベットには多くの村がある。そのうちの一つが成功すれば、チベットには仰ぐべき旗ができる。10の村が成功すれば闇夜に輝く朝の光となる。100の村が成功すれば、民族区の自治はもう目前だ……。

ここまで語れば、必ずやあのおなじみの疑念が向けられるだろうと私は確信している。漢民族には可能でもチベット人には許されない。国家分裂罪の汚名を着せられ、鎮圧されるだろう……云々。こうした疑念を私たちは聞き続けてきた。もう聞き飽きたといってもいい。こうした疑念に対してはただ一言、こう答えるだけだ。「焼身抗議すら恐れないのに、何を恐れるというのだ」、と。

民族の勇気。今、それが勝利を得るための財宝となるのだ。

■焼身抗議をどう受け止めるべきか?

この論考は中国の人権運動家の反響を集め、議論になっている。その議論自体についてはuralungtaさんがまとめてくれている最中なので、ここでは触れない。

本記事では「焼身抗議をどうとらえるべきか」という点にポイントをしぼりたい。焼身抗議という決死の行為は、その背景や絶望の深さを人に伝えるものであり、私もニュースをみるたびに胸がつまる思いがする。一方で抗議するにしても命を捨てるやり方以外はないものだろうかと願う気持ちもある。

ドライな意見としては焼身抗議は無意味だという批判があるだろう。焼身抗議があるたびに世界中のメディアが報道し、チベット問題がいかに深刻であるかをアピールしていることは確かだ。だが国際世論をいかに騒がせようとも中国共産党は変わらないし、実質的な効果はない、命を粗末にしているだけではないか、と。

■必要なのは希望ではないか

王の論考は、焼身抗議の献身とその力を認めながらも、今後は別な方向に向かうべきだと訴えるもの。基層農村の民主制からチベットを変えていこう、中国の民権団体と連携しようという提案は現実味がある提案のようには見えない。中国共産党が容認しないであろうことはもちろん、民主化シンパの中国人にチベット問題について関心を持つ者はそう多くはないからだ。

しかし、現実味が薄くともなんらかの希望を見出せば、絶望的な訴えではなくて、現実社会を変革しようとする運動に人々の力を振り向けることができるという王の提案は傾聴に値する。

それはチベット人だけではなく、中国共産党もまた聞くに値する意見ではないだろうか。膨大な金と武力を必要とし続けるチベット統治の現状を転換させるためには、現地の人々に変革の可能性と希望を与えることが必要となる。あるいは経済成長がチベット人の希望になるという発想かもしれないが……。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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