チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年1月5日

今日のブッダガヤ:カルマパが本土チベット人に謁見、センゲ首相記者会見、法王法話

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nagahari-2ブッダガヤでは今日も色んなイベントがあった。まず、朝8時からカルマパがチベット本土から来た人々を対象に話をされた。会場になったカルマパ僧院そばの屋外ステージには5000人程のチベット人が集まった。10時からは首相のセンゲ氏が記者会見を開いた。12時にはカーラチャクラ会場に法王が来られた。昨日から法話の前に数カ国ずつ様々な言語で般若心経が唱えられている。今日は日本語による般若心経が唱えられた。その後3時半頃まで法王の法話が行われた。

nagahari-1カルマパは話の中でチベット人としての誇りを保つべきことを説いた。「チベットは長い歴史を誇る国である。かつては政治的にも経済的にも強大な国であった。確かに近年チベットの国力は衰え、他国の支配下にある。しかし、誇るべき歴史と文化、宗教を持つ我々の誇りと勇気は衰えることなく保持されている。故に希望を失わず、誇りある正しい生活を続けてほしい」と。また、法王が説かれる仏法にしっかい耳傾け、法王のアドバイスに従うようにとも話された。

_DSC969610時から開かれた首相センゲ氏の記者会見。手前は外務大臣のデキ・チュヤン女史。今回、日本の大手新聞社の方々の姿は見かけないが、インドと外国のメディアは大勢来ている。プレスの数は300人近い。

センゲ首相はまず、「今回が最後のカーラチャクラ灌頂」という噂を否定。次回の第33回はチベット的には縁起のいい「3」が並ぶ回だし、その後も必ず行われるであろうと話す。「様々な困難にも関わらず本土から8000人を越える人々が集まった。彼らに取っては聖地インドを訪問しダライ・ラマ法王に会うことは一生の夢である」と。その他63カ国から8000人の外人、中国本土の中国人が1200人参加していると紹介。

_DSC9724「中国との対話の将来」についての質問に答えセンゲ氏「対話への努力は続けられている。非公式な接触も続けられている。我々はいつでも、どこでも対話を行う用意がある。障害の主な要因は中国政府の強硬路線にある」とし、「自治の形態は世界中に様々なモデルがある、ヨーロッパにもアジアにもアフリカにも様々なレベルの自治が存在する。中国でも一国二制度といい、香港とマカオに対し大幅な自治を許している。台湾に対しても大幅な自治の提案を行っている。中国にとって自治ということは憲法的にも制度的にも問題がないことは確かだ。しかし、香港もマカオも台湾も全て漢民族中心の地域だ。チベット等漢民族以外の民族には自治を許さないのではないかと疑うこともある」とコメント。

「今回8000人もの本土チベット人がここに来れたということは、中国政府がチベット人の出国を緩和したということか?」との質問に対し、センゲ氏「今回ここに来れたチベット人の多くは1年も掛けてパスポートを手に入れた人たちだ、またネパールのビザを手に入れることにも苦労している。間近になって来ようとし人々はパスポートもネパールのビザも手に入れる事ができなかったという。もしも自由にここに来れるものなら、600万チベット人のほとんどが法王に会うためにここに押し掛けたことであろう。今回ここに来れたのは幸運なほんの一部のチベット人でしかない」と。

_DSC979212時頃会場に入られた法王。

_DSC9822壇上、法王の目の前に上がり日本語(漢訳)の般若心経を唱える日本人グループ。日本仏教僧侶2人、チベット仏教尼僧1人を含む8人が会場に集う10万人以上の参加者全員に朗々と響く見事な般若心経を披露した。

アジアを中心に様々な国々に伝わった般若心経であるが、その唱え方にはそれぞれの国の特徴があり、聞き比べはなかなか興味深いものがある。

_DSC9929法話に入る前、仏法に対し敬意を示される法王。

今日はまず、昨日に続き「ゴムリン(修習次第中編)」を使い菩提心の重要性を説き、途中からナーガルジュナ(龍樹)の「超世間賛」に移り、「空観」を少し詳しく説き、本来は空の理解が帰依や大悲に先攻すべきだとも説かれた。ゲシェ・ランリ・タンパの「心を統治する8つの教え」を「短く暗記して常に唱えるべき偈」として紹介。そして、ゲルセ・トンメ・サンポの「37の菩薩行」の途中まで進まれ今日の講義を終えられた。

_DSC9907今日のリチャード・ギア氏

_DSC9990

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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