チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年12月15日
ネパール、ムスタンに越境したチベット人5人が中国側に引き渡された
13日付けRFAチベット語版http://p.tl/ZYAFによれば、今月8日、インドへの亡命目的でチベットからネパール国境を越えた5人のチベット人がネパールの国境警備隊に拘束され、その後中国側の国境警備隊に引き渡されたという。
目撃者の証言によれば、5人の内訳は男性3人、女性2人、何れも30~40歳位だったという。彼らはネパールのムスタン地区からネパール側に入り、そこで拘束された。国境警備隊は彼らをカトマンドゥに送らず、すぐに中国国境警備隊を呼んだ。そして中国側のトラックがネパールの国境を越えネパール領に入り、彼らを連れ去ったという。彼らの氏名、出身地等は分っていない。
ネパールは中国の要請に従い、越境するチベット人の警備を強化している。今年に入り何度もチベット人が国境付近で拘束され、カトマンドゥに送られた。しかし、カトマンドゥの出入国管理事務所に送られた後には国連や人権団体の働きかけにより、今までは中国に引き渡されることなく国連を介しチベット亡命政府が運営する難民一時収容所に無事送られている。しかし、実際には今度のケースのように秘密裡に中国側に手渡されているチベット人も少ないくないと思われている。中国側はこうしてチベット人を手渡した国境警備隊に報償金を与えているという情報もある。
RFAによれば、分っているだけでも、今年に入り12歳の男の子、7歳の女の子2人、それにタシと呼ばれる男性が中国側に引き渡されたと言う。もちろんネパール国境を越える前に中国側で拘束されるチベット人も多い。中国は最近こうして亡命目的で越境しようとしたチベット人に対する刑罰を強化し、長期の懲役刑を与えているともいう。
ムスタンは長い間独立した王国であった。チベットとの交易も盛んであった。59年に法王が亡命した後、最後まで中国と戦ったチベット人ゲリラの基地があった地域としても有名である。以下のビデオはすでにこのブログでも紹介済みであるhttp://p.tl/OiNK が、このビデオにはムスタンが如何に中国側に取り込められようとしているかも描かれている。近い将来、この国境を越えラサと結ばれる立派な道路が、中国の援助により建設される予定になっている。この国境は1999年の年末にギャワ・カルマパが越境した場所でもある。それ以来警備が厳しくなったという。ビデオの中、33分過ぎから36分に掛けて、今回チベット人たちが中国側に引き渡されたと思われる国境付近の映像を見る事ができる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)