チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年12月10日

国際人権デー

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002今日は世界人権デーと言うことで日本はじめ世界中で人権擁護関係のイベントが沢山行われている。ダラムサラではダライ・ラマ法王が1989年12月10日にノーベル平和賞を受賞したというので、その22周年記念の行事が首相のロプサン・センゲ氏を中心に朝からツクラカンで行われた。いつもだと、この日はめでたい日ということで歌や踊りが沢山披露されるのだが、今年は相継ぐ焼身抗議に鑑み、歌や踊りは一切なかった。

国際人権デーは、凄惨な戦争が終った後1948年12月10日、第3回国際連合総会で採択された「世界人権宣言」を思い出し、世界中で人権を守りましょう運動を行うための日だ。まずその「世界人権宣言」を確認するために全文が載っているサイトを紹介する。国際連合広報センター「世界人権宣言(日本語/英語)」http://p.tl/Bn4f
12億以上の国民を抱える中国はこの国連の常任理事国でありながら、この憲章を無視する代表的存在なので、この国の指導者や国民にも内容を確認してもらうために中国語のサイトも付け加える>http://p.tl/Lqny

その第一条には:
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
とある。

ここで最近チベットから流出したビデオや写真が思い出される。小さな村に100人もの武装した警官や軍隊を導入して、次々に民家を襲い、か弱いチベット人たちを拘束して行く。この時、何の令状も示されない。何の説明もされない。ただ暴力的に手錠を掛け引き立てて行く。まさに、ナチのユダヤ人狩りのごとし。

2008年にはこうして6000人以上のチベット人が連行されて行った。今も行方が分らない人が1000人以上いるという。例えば、このビデオに写っている村でこのような拘束が行われたという事は今まで亡命側に伝わっていなかった。

中国の法律にも一応、逮捕/拘束の時には令状を見せるべきと書かれている。24時間以内に家族に連絡せよとも書いてある。法治国家でない証拠である。

人権侵害の最たるものに「拷問」がある。最近亡命側に伝えられ、まだこのブログに書いてなかった2つのケースを紹介する。

TCHRD(チベット民主人権センター)プレスリリースhttp://p.tl/fRNwによれば、甘粛省ラプラン僧院の僧侶タプケ・ギャツォ(34)は2008年3月18日にデモに参加したとして逮捕された。1年以上も行方不明になっていたが、2009年5月19日、国家の安全を脅かせたとして15年の刑を言い渡された。今年7月に監獄で彼に面会した友人の報告によれば、タプケ・ ギャツォは数年間の拷問の末、半身不随となり、視力も極端に落ちていたという。

昨日9日付けRFAhttp://p.tl/Ruc6によれば、10月13日、チベット自治区チャムド地区パシュ県の人民法院はソナム・ナムギェル(23)に3年の刑を言い渡した。去年、パシュ県トンツァ郷の学校で校庭に掲揚してあった中国国旗が降ろされ、大きな石の下に敷かれているのが見つかった。警察はこれを反中の政治的犯罪と見なし、犯人を探したが、長い間見つけることができなかった。

今年の7月17日、ソナム・ナムギェルが山で冬虫夏草を探しているとき、突然そこに2人の警官が来て彼を引き立てて行った。4ヶ月の間パシュの拘置所で尋問を受けたが、そのとき激しい拷問を受けたと言う。その後収監された刑務所で知り合いとなったチベット人が解放後証言するところによれば、「彼は拷問の後遺症により体力が非常に衰え、耳も聞こえなくなっている」という。

彼の家族は年老いた母親だけという。母親は一度だけ面会が許可されただけだという。今はまたどの刑務所にいるのか不明となっている。

中国、特にチベットやウイグルでは拘束後、尋問時に拷問を受けるのは当たり前となっている。この事実は多くの証言により明らかだ。拷問は仲間の名前を吐かせるためだったり、やってもない罪を認めさせるためだったり、ただ単に見せしめのためだったりする。拷問の結果死亡するというケースも後を絶たない。

国際人権憲章
第五条「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。」

第九条「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。」

第十一条その1「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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