チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年12月8日
貴重<内部流出ビデオ>保安部隊に奇襲され拘束されるデモ参加者たち
ラサの保安部隊が平和的デモに参加したと疑った人々を、暴力的に拘束する様子が写されたビデオが流出。
7日付けTibet Nethttp://tibet.net/tb/2011/12/07/ལྷ་ས་གྲོང་ཁྱེར་སྤྱི་བད-2/ より。
(8日午後、このエントリーが消され、Tibet TVにアップされていたビデオも閲覧できなくなった)
ビデオには、ラサ市に所属する武警、警官、公安、特警(SWAT)、軍人、それに警察犬が合同で08年3月以降のいつか、日付は特定されていないが、ラサ市の北、セラ僧院に近いドクデ郷第二地区(དོག་སྡེ་ཤང་རུ་ཁག་གཉིས་པ་夺底乡)を中心に民家を急襲し、チベット人を次々に拘束していく様子が写っている。
亡命政府オフィシャルサイトTibet Netによれば、この拘束劇の原因は2008年3月10日、ラサでデブン、セラ僧院僧侶たちが平和的抗議活動の先陣を切った後、次の日の11日、セラ僧院近くの通りでセラ僧院僧侶、チュサン尼僧院の尼僧と共にドクデ郷の一般市民も参加したデモが行われたが、この際保安部隊はデモ参加者を全員逮捕することができなかった。後に情報を集め、デモ参加者の名簿を作り、その名簿に載る人々の家に押し掛け、彼らを拘束して行った。この時、拘束された人の中には今も行方不明のまま、家族は生死も分らないという人もいるという。
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これをダラムサラのルンタレストランで働く元政治犯たちに見せた。
彼らが言うには「これは、まだまだ大人しい逮捕のやり方だ。普通はその場でぼこぼこにされ、引きずって行かれる」と。
08年3月14日のラサ蜂起に参加し、真っ先にダラムサラまで辿り着き、14日の証言を行い、今はルンタにいるクンサン・ソナムは「俺も14日の後数日セラの近くに隠れてた。毎日夜中に兵隊が家々を一軒一軒回ってデモ参加者を探していた。このままでは必ず捕まると思い、亡命を決心した。ラサでもどこでもこんなシーンはどこでも見られる。これはまだましな方だ」と。
彼の証言はhttp://p.tl/yUin
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)