チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年11月4日
焼身した亡き尼僧パルデン・チュツォを偲ぶ会
尼僧パルデン・チュツォ(35)焼身自殺の知らせを受け、ダラムサラのチベット人たちは夕方6時、マクロードの街中にあるTCVニマロプタ(デースクール)の校庭で集会を開いた。
主催はTYC,TWA,SFT合同であったが、主にSFTがオーガナイズしていた。
集会の初めに、スピーカーから今日現地タウから寄せられた2人の電話通話が直接流された。
最初の女性は目撃者として焼身自殺の状況を説明しているらしかったが、ほとんど叫んでいるような泣き声で訛りも強く、私にはほとんど聞き取れなかった。
次の僧侶は訛りも少なく、はっきりと長く状況を説明していた。
話を要約すると「ジャンジュップ・チュリンの尼僧パルデン・チュツォはナムギェル仏塔の近くの大通り、かつて僧ツェワン・ノルブが焼身自殺したのと同じ場所で灯油を飲み、身にかぶり、抗議の焼身を行った。周りにいた尼僧がこれに気づき、『何するの!』と止めようとしたが、その時すでに彼女は火を付け燃え上がった。彼女は燃え盛りながら通りを進み、『チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王の帰還を!』等のスローガンを叫んだ。数十メートル歩き倒れた。しかし、再び起き上がり、手を合わせ、歩きながら何か叫ぼうとしたが、口からは炎が出るばかりで声にはなってなかった。再び倒れ、そのまま動かなくなった。
この大通りには普段から武装警官隊が大勢いる場所だ。すぐに彼らが駆けつけたが、同時に回りにいたチベット人の若者たちも集まり警官ともみ合った。すぐに大勢のチベット人が集まり、武装警官たちが尼僧を連れ去ろうとするのを阻止した。その間に車を呼び尼僧はチベット人により近くのニンツォ僧院に運び込まれた。
地図上で尼僧が炎に包まれながら歩いた場所を示すロプサン・ジンバ
すぐにニンツォ僧院の周りには大勢のチベット人が集まり『チベット独立!』等のスローガンを叫び始めた。間もなく町中至る所で約3000人程がスローガンを叫びだした。武装警官隊が僧院に押し掛けたり叫ぶ者を拘束しようとしたが、とにかくそこら中のチベット人が叫び始めたので、誰を捕まえるという分けにもいかないような状況となった。
ニンツォ僧院では武装警官隊が尼僧の遺体を引き渡すよう要求しているというが、今どのような状況なのかは詳しく分らない」と今日(3日)の出来事を報告した後、
「中国はチベットには宗教の自由があるというが、ここにはそんなものは全くない。法要をやるには許可がいる。単にサンスー(外で行う焼香)を行うにもいちいち許可がいる。愛国再教育といってダライ・ラマ法王を非難することを強要する。どこにも宗教の自由は無い」と言う。
さらに「自分たちはRFA等を通じてンガバの状況や亡命したチベット人たちの活動について知っている。よくやっていてくれてると思っている。今度の尼僧もそうだが、チベットで焼身自殺する人たちは外国の人たちにチベットの苦しい現状を知ってもらおうとして、命を捨てるのだ。だから、できるだけ多くの人々に抗議の焼身について知ってもらいたい。外国のメディアが放送してくれることを願っている」と話した。
次にタウと連絡を取り情報を収集したタウ出身の元政治犯ロプサン・ジンバが再び要約して今日の状況を説明した。
彼はタウで起こった2008年蜂起に参加し、この時11人が武装警官隊の発砲により死傷したことを外国に伝えたとして1年10ヶ月の刑を受け、ラサのダプチ刑務所に入れられていた。解放後インドに亡命した。
彼はSFTが用意したグーグルマップ上で正確に道のどこからどこまで炎に包まれながら尼僧が歩いたかをしめした。
また、ジャンジュップ・チュリン尼僧院の位置やニンツォ僧院の位置も地図上で示した。
次にSFT代表であるテンジン・ドルジェがマイクを握り、昨日から世界25カ国60都市で行われている一斉行動について、特にG20の会場となっているフランスのカンヌでのSFTの抗議行動についてスライドを見せながら詳しく説明した。
「先のタウの僧侶も話されているように、内地の人々は我々外地のチベット人たちの行動を知っているのだ。だから決して諦めず、できるだけのことをすべきなのだ」と亡命チベット人に行動を促した。
次にはSFT前会長のラドゥンがスピーチを行った。
「中国は今回、抗議の焼身が行われて2時間後には英語でニュースを流している。『我々は何も隠すことはない』と言わんばかりだ。しかし、そのニュースは事実を伝えるものではない。情報操作を行おうとしているのだ。タウとの連絡も数時間後にはすべて遮断された。中国は焦り始めているのだ。……
我々の闘いは自由を得るまで決して終らない。中国がいくら軍隊を増やそうと、武装警官を増やそうとそんなことでチベット人が挫けることは決してない。彼らの死を無駄にしないためにも我々は決して諦めず、世界を動かし、中国の態度を変えさせるために必死に努力すべきだ」と。
会場の入り口で抗議の焼死を行ったパルデン・チュツォの写真が配られ、夫々が写真の下に短いメッセージを書くよう促された。
最後にダライ・ラマ法王が亡命後に作詞されたツェメー・ユンテン(デンツィク・モンラム 真実の言葉)がいつものように合唱された。
何度目かだが、この歌詞の拙訳を以下に掲載する。
<真実の祈り>
三宝に帰依いたします。
無量の徳の大海とともにあられ
身寄りなき有情を一人子の如くおぼしめす
三世の諸仏、諸菩薩、成就者たちよ
どうか、わたしのこの真実の嘆願に耳傾けたまえ
聖俗二辺の懊悩を払い、最勝の仏の教えは
全世界の利と幸の吉祥を増長せしめる
どうか、法に巧みなる、賢者、成就者たちよ
十行の増大を示したまえ
清め切らぬ、かつての悪行の果
その環境の故に絶え間なき苦に喘ぐ薄幸なる有情たち
どうか、耐えがたき病、戦争、飢餓等すべての恐れ寂滅し
喜びの大海の内に、安堵の息をつけますよう
とくに、雪の国チベット、仏法と共にある国に生れし有情たち
悪徳、蛮行、非情なる共産の大軍に
喘ぎ打ちのめされし血と涙の流れ
速やかに断たれんがため、愛の力の大軍が生まれますように
煩悩の魔に惑わされ、その蛮行により
自他ともに破滅に向かう者たちを憐れむべし
残虐なる者達に、善悪の目を得させるために慈悲と友愛が生まれ
吉祥のうちに、すべてが結ばれますように
久しく、心底よりの悲願、チベットの完全なる自由
吉祥が果たされますよう
聖俗の自然に溶け合う宴と呼ばれる国を再び享受する幸運が
一日も早く訪れますように
仏法とそれを守るサンガ、国と国民のために
何よりも大切な己の命や財を投げ出し
千万の苦を耐え続けし人々が
ポタラの王の慈悲に守られますように
そう、守護尊観音菩薩の威力により
仏、菩薩たち照覧のうちに
雪山の国にて祈りの大海をなせし善果が
今ここに速やかに現前いたしますように
現空、法空深遠なる縁起と三宝の悲の力と
この真実の言葉の力、過たぬ縁起の真理の力により
私たちの真理の祈りが妨げなく
一日も早く実現されますように
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)