チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年10月4日
10月1日、国慶節にセルタで行われた抗議デモ・その2
写真はすべてウーセルさんのブログhttp://p.tl/rTArより。
10月1日、国慶節の日にカム、セルタで行われた中国のチベット政策に抗議したデモについて、2日前のブログでは第一報を速報としてお伝えした。その後、北京のウーセルさんが写真とともにより詳しい報告をされた。また、亡命側やアメリカのRFA、VOA等のメディアも現地から得た様々な情報を伝えた。これらを参照してもう一度私なりに事実にもっとも近いと思われる事の次第を書いてみる。
まず、10月1日の昼12時半頃、セルタ市内繁華街の広場に面した交差点にある3階建ての建物の屋上に大きなチベット国旗とダライ・ラマ法王の写真が入ったタンカが掲げられた。同時に屋上から声明が書かれたチラシもばらまかれた。これを実行した人について、最初は10数人と報告されたが、ウーセルさんは「1人の若いチベット人」と報告し、多くのメディアがそれに従っている。VOTは「3人のチベット人」としている。この国旗と法王の写真は数時間そこに掲げられていたという。
その後、何者か(おそらく警官)がこのチベット国旗と法王の写真付きタンカをはずし地上に落とした。すでに現場には相当な数のチベット人が集まっていたと思われるが、彼らはこのようにチベット国旗と特に法王の写真が地上に投げ捨てられたのを見て、チベットの自由を訴えるスローガンを叫び始めた。その人数も次第に増し警官が駆けつけた頃には200人ほどになっていた。警官は抗議のスローガンを叫ぶ人々を拘束しようとしたが、おそらく人数が足りなく誰も捕まえることができなかった。 ということらしい。
これに先立ち、セルタでは周囲の町も含め様々な場所に裏に朱印が押されたチラシが張り出されていた。以下そこに書かれていたチベット語を翻訳する
「チベット人兄弟よ、黒い中国の策略に惑わされ眠るでない。自分たちの民族と宗教、言語とアイデンティティーを勝ち取るために立ち上がれ。我々には人に与えられるべき自由が全くない。全員が真理の道に従い自由を勝ち取ろう。我々は信仰の自由を求める。言論の自由を求める。母語を使う自由を求める。移動の自由を求める。書物を発行する自由など他の者たちにはある自由が絶対に必要だ。ダライ・ラマ法王に長寿を。プギェロー(チベットに勝利を)!プギェロー!2011年8月25日」
なおこのチラシには内容は同じである大小2つのバージョンがあり、日付も8月25日と9月26日と書かれたものがあるという。9月26日はンガバで2人の僧侶が焼身自殺した日である。
また、チラシに押されていた朱印には周りに「ギャワ・テンジン・ギャツォ(ダライ・ラマ法王)が万年生きられますように」と書かれ、真ん中にはハート型の中に「チベット」と書かれている。
この朱印についてTibet Timesでは「これはチベットの地下組織の存在を暗示するものだ」とコメントしている。
ビルの屋上にチベット国旗と法王の写真を掲げたのもこの組織と関係があると思われる。
参照:3日付RFA英語版http://p.tl/ZIjE
3日付Tibet Netチベット語版http://tibet.net/tb/2011/10/03/བོད་གསེར་རྟ་རྫོང་དུ་བོ/
3日付Tibet Timesチベット語版http://p.tl/c_5y
その他、3日付phayul英語版、VOT、VOAチベット語放送
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)