チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年9月17日
ウーセル・ブログ「貧しく落ちぶれたマトゥ」
原文:http://p.tl/0SxJ
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
—————————————
写真説明
1…マトゥは現在の青海省果洛(ゴロク)チベット族自治州に属する。県城の標識は中国語だけで、チベット語表記は無い。
2…マトゥ県城。
3…この「金尊御膳時尚火鍋」を含め、県庁所在地の多くの店は漢人と回族が開いたものだ。
4…マトゥ県広場。「党の輝きは源流を照らす」という赤い横断幕のスローガンが跳ね馬よりも人目を引く。
5…これはマトゥ県監獄。ここ数年は泥棒1人を収監しただけと聞いた。今、何人を収監しているかは分からない(残念ながら、王力雄が撮った金鉱開発の写真は手元に無い)。
文/ウーセル
黄河源流のマトゥを初めて訪れたのは1997年で、4回目の訪問は少し前のことだ。かつての県庁所在地は人影が少なく、民家の戸口は固く閉ざされ、狭い道には亡霊のように紙くずやポリ袋が舞っていた。だが今では、往来の多い通りに「御膳時尚」という名の火鍋店がオープンしている。「党の輝きは源流を照らす」という赤い横断幕のスローガンも広場に掲げられ、跳ね馬の像以上に人目を引いている。
人口1万人超のマトゥは80年代、「全国で最も豊かな県」と言われ、1人あたりの収入が最も高かった。しかし、20、30年過ぎただけでマトゥは貧困県になった。中国メディアはその原因について、遊牧民の過度の放牧によって草原の減少、湖沼の激減、水源の枯渇、環境の悪化が起きたからだと異口同音に語る。そしてこうした説明は多くの人に影響を与えてきた。
二十数年前に王力雄が黄河を下った時に写した写真がある。マトゥの写真には本当に驚かされた。数千数万の人々が争うように働いている情景だ。荒地を開墾して作物を植えたり、水や草を求めて家畜を移動させているのではない。先を争って河から砂金をすくっている姿だった。写っている採取者はほとんど回族と漢人だ。チベット人が砂金すくいに関わっているのはたぶん見なかったと王力雄は振り返る。
実際、マトゥは黄河のおかげではなく、黄金などの豊富な地下資源によって有名になり、無数の貪欲な者たちを集めたのだった。関連資料によれば、80年代に数十万人の外地人がハチの群れのようにマトゥの砂金すくいに集まった。マトゥがいったん豊かになったのは牧畜業の発展によるのではなく、黄金の売買でGDPと財政収入を増やしたからだ。強調しなければならないのは、マトゥのいわゆる豊かさは遊牧民に分け与えられてはおらず、彼らは依然として足るを知る質素な遊牧生活を送っているということだ。
外来者がチベットに押し寄せて地下資源を掘り、草原は破壊され、河は干からび、野生動物は捕獲され、冬虫夏草などの希少な生薬は採集された。こうした事が重なり合って重大な結果を招いた。ネット上で見つけたある調査によると、マトゥ県は80年代から90年代半ばにかけ、乱掘によって黄金の資源を破壊しただけでなく、草原環境をひどく損なった。生態系の良好な連鎖が乱され、水や土の流出と砂漠化を招いた。1999年になると、全県の総面積の47.8%は砂漠と砂れき、むき出しの土となり、野生動物の数は31%減少したという。
「中外対話」(本部をロンドンに置く環境系NPO)は昨年、「消えゆくチベットの草原」という文章を発表した(http://p.tl/w50a)。取材を受けたチベット人教師は「今のマトゥはとても貧しく、基本的に生きていけない。資源は掘り尽くされ、草原も台無しになった……」と嘆いていた。しかし、マトゥ県政府のウェブサイトは依然として「開発を待つ豊富な鉱物資源」と宣伝している。どこにでも砂金があるほか、石炭や鉄、銅、コバルト、塩、ホウ砂、石灰岩、玉などがあるという。その上、今も絶えず金鉱を採掘している。
果たして放牧の問題はあるのだろうか?80歳を超すある遊牧民は「もし家畜が植生を傷つけるのなら、ここはもう荒れ果てた土地になっているはずだ。子どもの頃、数千頭のキャン(チベットノロバ)が出没していたのだから」と問い返す。王力雄も関連する文章の中で、「チベット人は先祖代々、数千年も草原で放牧してきた。なぜ過去の環境は破壊されず、行き過ぎた放牧も無かったのだろうか?」と反問する。
最後に、生態環境の悪化を招いている原因を補足しておこう。つまり誰もが知るチベット高原の気候変化だ。しかしながら環境悪化には外来の人為的な要因もある。私が言っているのは鉱山開発とダム建設の事だ。
2011年8月17日、ラサにて
(初出はRFA)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)