チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年9月4日
獄中23年のチベット人政治犯 容態悪化
RFA英語版(9/2日http://p.tl/64cy)
に、現在チベットでもっとも長期に渡り獄中にあるロブサン・テンジン氏に関し、「政治犯なのか?殺人犯なのか?雲の下で死と戦うチベットの囚人」という記事が掲載されている。彼は今年で23年間獄に繋がれ続けている。
TCHRD(チベッ人権民主センター) http://p.tl/IMsJによれば、彼は長年受け続けてきた拷問の上に糖尿病を患い、最近は視力が極端に衰え、ほぼ盲目に近い状態になっていると言う。さらに拷問により腎臓を病み、足も痛め、立ち上がることも困難な状態という。
ロブサン・テンジン氏は1988年に、ラサで起こった大きな抗議デモの際、他の5人のチベット人とともに、デモ参加者を撮影していた警官に暴行を加え窓から落とし殺害したとして死刑を宣告された。彼はその時22歳であった。TCHRDによれば、死刑は後、国際人権機関の強い圧力により無期懲役に減刑された。
「確かに、殺人罪というのが当局により彼に与えられた罪状だ。しかし、逮捕時の状況も裁判の状況も明らかにされていない。平和的抗議活動を撮影していた武装警官隊の将校を誰かが殺害したことは知られている。また一方、容疑者とされた5、6人のチベット人の内の一人が後にチベットを離れ、容疑者とされる全員が事件に関わっておらず、無実であると証言しているということも知られている」とITC(国際チベットキャンペーン)のスポークスウーマン、ケイト・サンダー女史は語る。
さらに「ロブサン・テンジン氏はラサの多くのチベット人により非常に尊敬されており、多くの人々が彼の苦境を心配している」と言う。
「中国人警官殺害事件に関し、テンジンや他のチベット人がどのような役割を担ったのかについては、依然明白ではない」とコロンビア大学近代チベット学プログラム主任であるロバート・バーネット教授は言う。
「本当に何があったのか?彼らは本当に有罪なのか?について今まで誰も明らかにしていないのだ」「もちろん裁判は完全に不当なものだ。だから分らない。分らないとしか言いようがない」
「ただ、早い時期の北京に対するチベット人の闘争において、テンジンが理論的指導者、活動家として重要な人物であったということだけは確かな事だ」
「もしも逮捕されていなかったならば、彼は非常に重要なリーダーとなっていたことであろう」とバーネット教授は語る。
現在彼はラサ近郊にあるチュシュル刑務所に収監されている。逮捕されたときかれはラサ大学の学生であった。
獄中にあり、死刑宣告を受けていたにも拘らず、彼はダプチ刑務所内で抗議デモを先導し、されに「チベット独立雪獅子青年隊」という政治結社を組織した。
1991年、在中国アメリカ大使ジェームス・リリー氏がダプチ刑務所を視察に訪れた時には、他の囚人とともに彼に「チベットの政治犯リスト」を渡そうとした。もちろんこの後、彼は激しい拷問を受け、無窓独房に入れられることとなった。
1994年、彼の刑期は18年に減刑された。予定では来年2012年に解放されるはずである。
長期に渡る厳しい拷問と獄中生活に晒されながらも、その勇敢な行為により、他の政治犯たちを鼓舞し続けてきたテンジン。だが、刑期終了を前に彼の容態は危険な状態に陥ってしまった。
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ロブサン・テンジン氏の緊急治療と健康悪化を理由とした早期解放を求めるオンライン請願書にサインお願いします>http://p.tl/fw-B
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)