チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年6月29日
雲南省北部旅行その2:麗江編
写真は麗江(リージャン)の象徴ともなってる大水車。とにかく漢人観光客の多い町。中国人の特徴は写真を撮るときほぼ必ずポーズを取ること。写真に写ってるお姉ちゃんはスカートを広げてる。
まず旅行人ノートの麗江の説明「麗江ナシ族自治県の県府。独特の文字(トンバ文字)をもつナシ族が多いことで知られている。海抜2400mの高地にあり、夏でも涼しい。街の北側には玉龍雪山(5596m)がそびえ、天気の良い日には街からのはっきりとその雄姿をのぞむことができる。南側にある旧市街「麗江古城」は世界遺産に登録されている。」
さらに「麗江周辺はチベットでは『ジャン・サダム(འཇང་ས་དམ་)』として知られている。かつてのナシ族(チベット語で『ジャン』)の王国があり、7世紀以降一時期チベットの支配下に入って以来、チベットの影響下にあった。13世紀の元朝時代、白砂にあった中心地が麗江に移った頃、カルマ・カギュ派やニンマ派のチベット仏教が広まったとされる。」そうだ。
かつてはチベット文化圏の南端であったということだろう。
もっとも今はナシ族の旧市街はほぼ完全に漢民族に占拠され、外観は昔を偲ばせつつも、中身は土産物屋、ゲストハウス、カフェ、ディスコなどの商業施設と化している。
ちなみに、ナシ族は現在、総人口たった30万人。
街中には至る所に水路があり、水は比較的綺麗で、緑の水草が涼しげな流れを演出している。
街の至る所にこのトンバ文字を見かける。一つには観光客を喜ばすためなのかも知れない。
ナシ族に伝わるこのトンバ文字、象形文字の一種で約1400の文字があるそうだ。現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。もっとも、このトンバ文字、ナシ族の中でもごく少数の「トンバ」と呼ばれる司祭によってのみ受け継がれている文字だそうで、一般の人は読めないらしい。
世界の文字の中でも唯一色によって意味を変えうる文字であり、黄色はお金(金持ち)、黒は悪などの意味合いを既存の文字に色をつけて字の意味を広げていくと。
ちなみに、トンパ文字の「女」は同時に「大きい」という意味を持ち、「男」は同時に「小さい」という意味を持つそうだ。これはナシ族文化が伝統的に母系社会であることに由来すると。
なかなか趣あり、ユーモラスでもあり、見てて飽きない文字だ。
写真の建物も真似したいほどユニークだった。窓も面白い、壁のベンガラ色もいい。
ナシ族と思われるおばさんの一団。
伝統的にはナシ族はチベット族と同じく一妻多夫制という。現在はきっとチベットと同じく崩れていると思われるが、元来母系社会で女性の地位は他の社会に比べ高いらしい。
「ナシ族は基本的に自然崇拝であるが、チベット仏教の影響も多く受けている。ナシ族の町でチベット仏教の建物は重要な位置を占める。麗江には小川がたくさんあり、中州に生命や死んだ人などを祭る色とりどりの祭壇がある。」そうだ。時間の関係でチベット仏教の建物も中州の祭壇も見ていないが、だ。
古城の広場で輪になって踊る、ナシ族のおばあさんたち。夜には真ん中に火をたき、踊るとか。観光客寄せのためのショーのようでもあった。
こちらはショーではなく、本気の賭けごと。麻雀とトランプを合体させたような見た事ない札で勝負してた。
この辺の野菜はとにかく立派で大きい。インドから来るとその大きさの差に驚く。もっとも化学肥料と農薬をたっぷりまぶしてある可能性はあるが。
誰かが、この街は宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街だ、と言ってたことを思い出し、「そういえば、まさにそのようだわい」と納得して街並みを見ていた。が、調べると、モデルの街は「台湾」や「日本の温泉宿」だとある。勘違いと知りがっくり。
「自由人」という看板を見つける。ドアの「福」の字も逆さ。中にはひねくれ者の芸術家でも住んでいるのか?
この塔状に重ねられたものはタン茶(固められたお茶)このように固められて雲南からここを通りチベットへお茶が運ばれて行った。
洒落たカフェで休んでいる時、見つけた雑誌。
共産党結成90周年の一環なのか、1930年代から時代ごとの「青春」について写真と記事で紹介してあった。
1952年、天安門広場で青春を謳歌し踊る男女。
このころ、チベット侵略のため解放軍がカムやアムドに向かって進軍してた。
1966年、文化大革命が始まり、旧文化の遺産を焼き払うことに熱中する若者たち。
ちゃんとこんな写真は載せてある。ずっと下って現代まで写真と文章で歴史が解説してあったが、1989年6月4日については、もちろん一行も書かれてなかった。
大理以降、街の至る所に見かけた、「ヤク肉屋」さん。上に併記されてるトンバ文字がいい。「ヤク」の絵文字もある。結構繁盛してた。
夜の麗江。旧市街の広場に面して目立つこの香ばしい建物の中はディスコと化していた。
世界遺産の中をディスコにするというのは如何に?と思わないでも無かった、が、ここは中国だしね。
大勢の若者が広場にも溢れ踊り狂ってた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)