チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年6月8日
カム、ニャロンで4人の若い僧侶が平和的デモの後、行方不明
追記:彼らのデモの様子をビデオで見る事ができる。以下>http://p.tl/hBD3(2:33から)
6月7日付け亡命政府オフィシャルサイト、チベット語版より:http://tibet.net/tb/2011/06/07/བོད་རིགས་ན་གཞོན་བཞིས་ཞ/
確かな情報筋より6月6日に寄せられた情報によれば、2010年4月(英語版5月)8日、カム、ニャロン(ཉག་རོང་ 新龍)、グル僧院(གུ་རུ་དགོན་པ)の僧侶アポ・タシ(22)、ツェリン・ギェルツェン(19)、ツェリン・ワンチュック(22)<以上写真の3人>、及びジャンジョル僧院(བྱམས་འབྱོར་དགོན་པ)のリクジン・ドルジェの4人がニャロンの町中で、チラシを撒きながら、手にチベット国旗を掲げ、「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベット独立!ダライ・ラマ法王をチベットに迎えよう!」と声を上げた。
数分後、警官隊により拘束されそうになったとき、周りにいたチベット人たちが彼らを守り、その間に内3人は助けに来たバイクで逃げることができた。しかし、ビデオ係りをやった1人は途中でバイクが故障し拘束されてしまった。その後逃げた3人と拘束された1人の消息は今に至るまで不明という。
カム、ニャロンの地は嘗て20世紀前半、カム一帯を支配するギャリ家の本拠であった。ここの人々はカンゼ、リタンとともにその勇敢な気質で有名である。中国による侵略に対しても強硬な抵抗を示し、多くの犠牲者を出している。
2008年チベット全域でチベット人が蜂起した時、ニャクメ(下ニャロン)では「愛国再教育キャンペーン」に全面的に反抗した。ニャクトゥ(上ニャロン)では抗議の印として非耕作運動が行われ、多くのチベット人が逮捕された。
2009年3月、政府を批判したポスター等を張り出したとしてペマ・イェシェが2年執行猶予付き死刑、ソナム・ゴンボに無期、ツァン・ツォックに16年の刑という非常に重い刑が言い渡された。
さらに2009年4月にはキャチュ・タンキャ郷のチベット人たちが抗議デモを行ったが、これに対し当局は発砲している。
2009~10年に掛け、ナクトゥのカワルン山という聖山で鉱山開発が始まった時には地元の僧侶・俗人が激しく抗議活動を行った。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)