チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年6月10日

ウーセル・ブログ「元々、ペットと人の関係だった 」

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2008419203033937_new-1今日もチベタン・マスティフに関わる話。ところで、かのムツゴロウさんも20年近く前にこの犬に会いにチベットに行かれてたそうです。その話を長田さんが2005年「チベット式」の中に書かれていました> http://ow.ly/59ZGS

で、今日は再びウーセルさんのチベット犬絡みの2008年6月24日付け記事。

原文:http://p.tl/TUhC
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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◎元々、ペットと人の関係だった

 今年(08年)3月の「チベット事件」以降に最も大きく変わったことの一つは、チベット人と漢人の関係、つまり中国でのチベット民族の地位の問題だ。


 漢人を主体とする中国人とチベット人の関係が事件後のように明るみに出たことは今までなかったと言っていい。それまではベールに覆われ、はっきり見えず、とても美しく見せる効果があった。多くのチベット人は「中国の55少数民族で最も地位が高く、最も漢人に好かれているのは自分たちだ」「特にウイグル人よりも好感を持たれている」と得意がっていた。トゥルクや僧侶は頻繁にチベットと漢人地域を行き交い、漢人の弟子を受け入れ、漢人の師になって満足していた。

 また、中国人にはいわゆるチベット好きがたくさんいた。このうち一部は「蔵漂」(ラサなどでたむろしている中国人ヒッピー)を自称し、チベットで数年暮らさなければ人生の意味はないと言わんばかりだった。2006年にラサまで鉄道が開通した時、中国全土が青蔵高原に心を揺さぶられ、誰もがポタラ宮に行きたいと思った。とても長い間、民間のチベット人と漢人の双方には、真相を完全に隠せはしないものの、深い愛情があふれていた。

 しかし、3月の「チベット事件」以降、真相を覆っていたベールは取り払われた。元々チベット人の多くが満足していたのは、55少数民族のうち比較的かわいがられる地位に過ぎなかったのだ。これはペットとしてかわいがられるということだ。そう、中国でのチベット人の地位はペットの地位に過ぎなかった。チベットに対する事件前の熱烈な愛情と事件後の憎しみは、とてもはっきりと証明している。いわゆる熱烈な愛情はペットへの愛情に過ぎなかった。

 青蔵高原の最も有名な動物で、とても珍しくて貴重なチベタン・マスティフと同じだ。中国の富裕層や風流ぶった人たちは争うように大枚をはたいてペットにし、毎日たくさんの肉を与える。しかしある日、チベタン・マスティフは突然かんしゃくを起こし、元々の主人ではなかったこの主人にかみつき、憤慨されて殺されてしまう。中国の新聞にはいつもこうしたニュースが載っている。これはまさにチベット人と中国人の関係だ。これこそ中国社会の民族間の基本的な関係だ。

 チベット人がもしペットの地位に甘んじるのなら、漢人はそれならいいだろうと言って、以前と同じ深い愛情を持ってチベットに接してくれる。チベットへの「熱愛」を続けるのは、好きな猫や犬などのペットに喜んで餌を与えるのに似ている。しかし人はペットではない。ペットに自分の意志はないが、人には自分の意志がある。チベット人がペットになることを望まないのは、自分を失うことにつながり、最後にはチベットを失うからだ。

 だから、チベット人がペットの地位に満足しなかったり、ペットの運命を受け入れず、人としてチベット人として勇敢に抵抗したりするだけで、面倒な事態をひき起こしてしまうだろう。実際、もう面倒な事態になっている。例えば逮捕されたり、監禁されたり、虐待されたり、虐殺されたりすることまである。これは国家の懲罰を受けるということだ。民間の漢人について言えば、彼らの変わり身の速さも真相を教えてくれる。チベット人は人にはなれないというのが事の真相だ。人になろうとすれば死地に追いやられるだけだ。

 実際のところ、ウイグル人は早くからこの結末を迎えていた。チベット人とウイグル人は本質的に同じで、この漢人主体の国家では平等な地位は全く得られない。3月以来の「チベット事件」はこの事実を明らかにした。ずっと純朴で現状に満足してきた多くのチベット人にとっては大きな衝撃だ。別の角度から言えば、とても貴重な教訓だ。

2008年6月2日 昆明にて

(RFAから転載)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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