チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年5月22日

ダライ・ラマ法王の政治的引退を受け「チベット憲章改正」を話し合う「第2回全体会議」が始まる

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1105210719168M 昨日、ダライ・ラマ法王の政治的引退声明を受け、チベット憲章(憲法)改正を話し合う「第2回全体会議」がダラムサラで始まった。会議は25カ国から集まったチベット亡命社会の代表418人により24日まで行われる。最初の予定では23日までであったが、法王の提案で会期は1日延ばされたという。

 法王は今年3月10日の蜂起記念日に正式に「引退表明」を行われ、議会に対し承認を要請した。これに対し、議会は最初、ほぼ全会一致でこれを拒否した。法王はこれをもろともせず、「私の引退の意思は堅い。熟考の末であり、長期的には必ずチベットのためになる」と述べ、さらに「完全民主化は私の長年の夢。民主化を唱えながら、選挙で選ばれていない私が居座り続けるのは偽善的。人に強制されず、自ら喜んで身を引くのだ。だからといって、これは決してチベットに対する責任を放棄するということではない。私、ダライ・ラマはチベット人として最後の一息までチベットの自由のために責任を果たす」とも言われた。


 議会は再度審議に入り、今度は全会一致で法王の引退を承認した。それにともないチベット憲章を改正するための小委員会を設置し、修正案を作成した。今回の「全体会議」ではこの修正案をたたき台として議論が行われる。

 この憲章は確かに亡命チベット人社会というたかが15万人の集団の憲章と見る事もできる。が、この政府は亡命政府であり、国際法的にも国が侵略された後、外国に逃れた亡命政府は元の国家を代表して将来のために国家の憲章(憲法)を作ることができるのだ。議員も会議に参加したチベットの知識人たちもその気で議論しているし、法王も将来世界の見本になるような民主的憲法が出来上がることを期待されているのだ。

 ここで、議論の中心になると思われる事はまず、「国家元首」と「政府の長」を分けるべきかの議論。今までは例えば現在のアメリカのようにこれを分けず2つの機能をダライ・ラマが果たしていた。これを立憲君主制に移行するのかどうか。つまり分けてダライ・ラマ法王に「国家元首」として、その象徴的存在として残ってもらうのかどうかを決定することになるであろう。

 イギリスを始めヨーロッパの多くの国は元国王を「国家元首」としている。例えば、コモンウエルズ54カ国の内カナダ、オーストラリア等の16カ国は今もその国家元首はエリザベス女王である。遠くの事は置いといて大日本帝国憲法において天皇は日本の国家元首であった。今の憲法には国家元首についての明白な規定はないが、日本の象徴とされ実質的には元首の機能を有しているので国家元首といってもさしつかえない、という意見もある。

 もっともこの国家元首にどうような権限を付与するかは各国まちまちである。おそらく、法王を「チベットの国家元首」とすることになると思われる。そしてどのような権限が付与されるかが次に議論されるであろう。次のダライ・ラマ15世にも引き継がれるのかどうかも話し合われると思われる。

 もう一つの問題は今回最初のたたき台である「改正案」の中にはこの「憲章の及ぶ範囲」について記載されているが、この中で政府の名称が変更されている。この部分チベット語では元:བཙན་བྱོལ་བོད་གཞུང་ 変更:བཙན་བྱོལ་བོད་མིའི་གཞུང་གི་སྒྲིག་འཛུགས་ 日本語に直すと「亡命チベット政府」から「亡命チベット人政府組織」に。これまで亡命チベット政府は「中央チベット政府」とも呼ばれているように亡命前のチベット政府を引き継いだチベット全土を代表する政府、という意味を担っていた。多くの人たちがこの名称変更により亡命政府がただの文字道理の亡命チベット人のみの政府になってしまう。ただのNGOに等しい。中国の思うつぼだという議論が起こっている。なぜ改正案でわざわざ名称を変更したのかの説明を私はまだ聞かない。わざわざ論議のネタを提供したとも思える変更点だ。

 今回の憲章改革について、多くの専門家が「結論を急ぎ過ぎている」「今期の議会中に決定する必要は無い」「もっと時間を掛けて遠い将来にも通用するチベット人の憲章を作成すべきだ」と言う意見が寄せられている。はっきり言ってこの全体会議に出席している各界代表も法律については素人が多い。もっと世界の専門家を交えて議論すべきとも思う。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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