チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月20日
ウーセル・ブログ「『カムパ芸術祭』の目障りな毛皮」
再びウーセルさんの「チベット毛皮論考」。2007年の記事より。
原文:http://p.tl/703r
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
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◎「カムパ芸術祭」の目障りな毛皮
7月25日、青海省玉樹(ジェクンド)チベット族自治州の政府所在地、結古鎮は渋滞していただけではなく、携帯電話もつながりにくくなっていた。「カムパ芸術祭」開幕式のある草原には無数のテントが並び、各地から駆けつけたチベット人が会場を何重にも取り囲んでいる。カメラを手にした内外の観光客はみな頭を突き出し、つま先立ちになり、すき間に入り込もうとしている。警察と武装警察の数は前例が無いほど多く、各県から派遣されてきた警官もいる。
私は運良く最前列に分け入ることができ、ちょうど玉樹州の民族衣装チームが通り過ぎるのを見た。予想通り、6県から来た男女の出演者の多くはカワウソやヒョウ、トラの毛皮で縁取ったチベットの民族衣装を着て、重なり合った巨大で鮮やかなアクセサリーで頭から胸、手までを覆っている。十数人の警察は用心棒のように彼らを警護していた。出演者が少し立ち止まると、中国の内地から来たメディアのカメラマンが群がり、争うように写真を撮り始めた。まるでこれがチベット人の服飾文化を代表しているか、幸福な暮らしを反映しているかのようだ。チベット人がヒョウやトラの毛皮を盛んに身に着けるここ数年の下劣な習慣は、チベット文化をまったく理解していない内地メディアがわざとか無意識にか、行き過ぎた宣伝をしていることと無関係ではない。
玉樹州の580人のダンス・チームは企業・団体派遣の勤め人と学校派遣の学生で組織され、同じようにカワウソやヒョウ、トラの毛皮で縁取った衣装を着ている。このうち、話を聞いた1人の学生は「政治任務だから、着なければ政治犯になってしまう」と仕方なさそうに言った。政治犯という言い方は恐らく誇張だろう。しかし現地の人の話では、毛皮の衣装を着なければ、公職に就いている出演者はくびになる可能性がある。農民や遊牧民の場合、6、7月にあった練習での1日あたり50元の手当てが支払われない可能性があるという。着なければ罰金だという人もいた。
雲南省デチェン州や四川省カンゼ州、チベット自治区チャムド地区から派遣されてきた民族衣装チームも、少なくない男女がヒョウやトラの毛皮を着け、大きな首飾りを掛けていた。これは簡単な民族衣装のショーではなく、明らかにある種の政治的な態度表明だ。各地区の責任者はダライ・ラマに反対する「政治的な決意」を持っているのかどうか。毛皮着用の有無を通じ、主催者席に座る高官たちは審査、評価しているのだ。
しかし、ヒョウやトラの毛皮を身に着けるチベット人観客は極めて少ない。今回のアムドとカムの旅行中に見かけたように、観客が着ているのは、希少動物の毛皮で縁取っていた部分をすべてきらびやかな織物に置き換えた衣装だ。美しいが大げさな贅沢さはない。なぜヒョウやトラの毛皮が無いのかと十数人のチベット人に聞いてみると、彼らの答えは例外なく、悪習を捨てなさいというダライ・ラマの呼びかけと関係があった。「カムパ芸術祭」で数えてみると、以前の似たような祭日行事と比べ、毛皮を身に着けたチベット人は大きく減っている。2001年夏にあった玉樹州建州50周年の記念活動では、出演者の間であれ観客の間であれ、ヒョウやトラの毛皮が大流行していた。
特筆すべきは7月29日の閉幕式だ。各地の民族衣装チームが再び会場に現れた時、観客の野次が聞こえてきた。「ヒョウの毛皮もトラの毛皮も恥ずかしいぞ!」。勤務中のチベット人武装警察3人に至っては大胆なことに、ダライ・ラマの呼びかけは民族へのいたわり、自然環境への慈しみなのだと話した。
2007年7月30日 ジェクンド(玉樹)にて
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)