チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月17日
ウーセルさんの記事「今年、まだヒョウやトラの毛皮を着る者はいるか?」
いつもウーセルさんのブログを中心に中国語訳を行って下さっている雲南太郎さんが、当ブログで5月9日に紹介した「写真が語るチベット:虎やヒョウの毛皮を着た…」http://p.tl/OXbmの本編(のようなもの)をウーセルさんの過去のブログの中から探し当て翻訳して下さった。
原文は2007年1月のウーセルさんの記事:http://p.tl/XUpS
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今年有谁还穿豹皮虎衣?
2カ月前、カム地方南部を旅行し、寒くなってきた県庁所在地や農村、遊牧地を通った。現地のチベット人の服装を特に観察、調査し、次のような結論を得た。今のチベットでは、希少動物の毛皮を使った民族衣装を着るかどうかという問題は、既に意味深長なある種のシンボルになっている。より正確に言えば、このシンボルは過去にあった財産の誇示や見栄とは関係が無いし、自分たちが美しいと思うものへの盲目的な追求とも関係が無い。これはいわゆる政治的な立場につながっており、意味深長なことではないだろうか?
2006年初頭、インドであったカーラチャクラ灌頂でのことだ。希少動物の毛皮や大量のアクセサリーを身に着けるチベット人の悪習について、俗で文化的な態度が欠け、財産を無駄遣いするだけではなく、国際社会の唱える環境・野生動物保護の主張に反し、仏教を信仰するチベット人のイメージを損ねているとダライ・ラマは批判した。この批判はチベット本土に強い衝撃を与え、アムドとカム、ウツァンなどのチベット人は高価なヒョウやトラの毛皮、キツネの帽子などを次々と燃やした。
激怒した当局はチベット民衆の自発的な焼却行為を「分裂集団」に操られたものだと総括し、焼却運動を強引に禁じ、発起人を逮捕した。同時に大小の会合を開き、ヒョウやトラの毛皮を身に着けるようチベット人に求め、毛皮は党の政策が幸福な暮らしをもたらした証明なのだと公言した。道理から言えば、中国政府も環境と野生動物の保護を呼びかけているのだから、チベット民衆の環境意識の目覚めを賞賛し、民心と国際的な潮流に従う理性と態度を当然示すべきだ。しかし、遺憾なことに彼らの度量はかくも小さく、でたらめなやり方を選んでしまった。
毛皮を燃やす行為は確かに環境保護だけから出たのではない。より重要なのは、精神的な指導者ダライ・ラマに対するチベット民衆のあつい信仰を表明したことだ。別々の場所でチベット人が本音を口にするのを何度も聞いた。「ギャワ・リンポチェの話さえ聞かないなら、誰の話を聞くっていうんだ?」。当局を怒らせた原因もまさにここにある。半世紀以上にわたってチベット各地を強硬に統治しながら、いまだ民心を屈服させていない。一方、何の武器も持たない遠くの老人は言葉を少し発するだけで大反響を巻き起こせる。「(毛皮焼却は)ダライ・ラマへの信服をはっきりと示している。ダライ・ラマが一声命じれば従わないチベット人はいない」と外国メディアが報道するのも無理はない。
焼却が「分裂行為」になった以上、チベットの多くの民衆は今後ヒョウやトラの毛皮を二度と身に着けないというやり方で自らの態度を表明する。チベット各地の民間のお祭りではもうめったに見かけなくなっているが、チベット人官吏は逆に各種の公の場所でヒョウやトラの毛皮をとても誇示している。これは自分の財産を見せびらかすためでもなく、美しさを追求するためでもなく、反分裂の決意と党への忠誠心を示し、引き続き出世しようという個人的な目的のためだ。そこで彼は民心や世の潮流からかけ離れた1頭のトラ、ヒョウに惜しみなく扮する。これは今日のチベットの一大風景と言ってよい。
2007年1月24日
(RFA特約評論)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)