チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年5月11日
ウーセル・ブログ「チベット人は『定住プロジェクト』に感謝するか?」
ウーセルさんは5月9日のブログで、先4日に当ブログで紹介した「米上院外交委員会報告書について」の続きを書かれている。
今回は「チベット人遊牧民定住プロジェクト」に関するものだ。
原文:http://p.tl/JoL4
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
———————————————————————–
◎チベット人は「定住プロジェクト」に感謝するか?
文/ウーセル
写真説明
1枚目…2007年7月、ジェクンド(青海省玉樹)で撮影。生態移民(環境保護のための移民)の新しい村と言うより、新しく「貧民窟」を造っていると言う方がいい。
2枚目…2008年8月、レゴン(青海省同仁)で撮影。まもなく入居が始まる「定住住宅」。
3枚目…2007年8月、ゴルムド(青海省格 木)の新しい「生態移民」村で撮影。簡素な仏堂。
昨年チベットを訪問した米上院外交委員会職員代表団の報告書の中で、もう一つ検討に値する結論がある。すなわち、チベット人が「定住住宅」の恵みを受けているという点だ。「こうした膨大な住宅計画が広くチベット自治区とほかのチベット・エリアをカバーし、チベット人が全面的に感謝を示していることを代表団メンバーは証明できる」という。
アムドやカムなどの「生態移民」「遊牧民定住」と並び、いわゆる定住住宅は中国当局の言う「農民と遊牧民を現代文明の新生活に導く」「定住プロジェクト」に属する。チベット自治区トップの張慶黎はこれを「ダライ集団との闘争で主導権を握るための重要な条件と基礎」と呼び、「共産党こそ民衆にとって真の生き菩薩だ」と自画自賛している。
米中の役人はきっと聞いたことがないだろう。土と石で造られた旧居から「定住住宅」に引っ越すウツァンの農民は新しい家に特別な名前を付けている――「ペカル・ルオジュ・カンサル」。「ペカル」は直訳すると真っ白な額という意味で、福徳の利益や幸運を失うことを指す。例えば、両親があまりにも早く亡くなると、「自分はペカルプ・チャーシャ」と言う。「ルオジュ(?)」は過去の時代に最底辺の者だけが食べていた牛の肺や腸などの内臓を指し、低級で貧しい生活の例えだ。「カンサル」は「カンパ・サルバ=新しい家」という意味だ。この民間習俗に従った新語からは、農民たちがまったく「定住住宅」に同意していないことが分かる。しかし、同意しなくて何ができるだろう?これは政府の統一的な政策で、受け入れなければいけない。
カムの遊牧民は「定住住宅」を「ラキャ・カンパ」と呼ぶ。「挙手住宅」という意味だ。「ラキャ」関連の言葉には「挙手ソーラー・クッカー」「挙手テント」などがある。「挙手」は同意を示し、同意すればこれらの物が与えられる。では、「挙手」しなければいけない対象とは?まさに党の方針が「政治優先」「安定がすべてに優先する」であり、チベット自治区が公務員採用する高校卒業生でさえ、主要な条件が「分裂に反対すること」「ダライを批判すること」であるように、遊牧民が「定住住宅」に引っ越すには、挙手して「ダライ集団に反対する」「共産党に感謝する」ことを示さなければならない。
遊牧民向け「定住住宅」の第1期では、政府が1万元を支出し、移住者が1万元のローンを組む。すべてチベット式の土壁の平屋だ。第2期では、政府が1万元を支出し、移住者が1万元を払い、更に3万元のローンを組む。すべて赤い屋根の中国式鉄筋コンクリート住宅だ。全住宅に五星紅旗を飾る必要があり、飾らなければブラックリストに載せられる。
村幹部のチベット人は私に言った。「もし本当に遊牧民の生活の需要を考えるなら、『定住住宅』は冬の放牧地の近くに建てるべきだ。そうしてこそ役に立つ。村ごとに集中させるのは遊牧民にとって不便だ。政府は経済で人心を丸め込みたいんだろう。とても大きな目的だが、遊牧民にはまったく歓迎されない」
チベットは広大で、各地の「定住プロジェクト」はそれぞれに重点がある。最もひどいものは「生態移民」モデルだ。中国当局は少し前、「この先5年間、青海省は全力で遊牧民定住プロジェクトを実施する。水と草を求めて生活していた歴史に、53万の遊牧民は別れを告げるだろう」と称していた。「生態移民」の原因は行き過ぎた放牧による草原減少にあるという。しかし実際は、数十年にわたって続いた資源採掘こそが最大の破壊だ。
80年代中期に撮られた写真を見たことがある。よそから猛烈な勢いでやって来た移民がアリのようにマトゥ草原に群がり、懸命に金鉱を掘る情景だった。今ではあの辺りは不毛の地になり果てた。金色の駿馬が駆ける草原と言われたセルタでは、金鉱の採掘が十数年続いた。徹底的に掘り終わった後に埋め戻しが始まったが、もう元のようには戻らない。
黄金などの地下資源だけでなく、チベット人の伝統文化と生活スタイルも草原とともに消えている。数年前、ゴルムド郊外にある300戸以上の新しい「生態移民」村で、数人のカムパ男性と話した。ここと故郷とどちらが良いかと尋ねると、彼らは「もちろん故郷がいいよ。ここには草だって無いし、風が吹けば砂ぼこりだらけだよ」と答えた。引っ越してきて、故郷の山の神様も一緒に来たのかと問う
と、彼らはうつむいて言った。「どうやって?僕らは神様を捨ててしまったんだ。僕らは牛や羊を捨ててしまったんだ……」
2011年5月4日 北京にて
(RFA特約評論)
————————————————————-
参照:「定住プロジェクト=強制移住計画」に関する過去ブログ
http://p.tl/a6tS
http://p.tl/uquE
http://p.tl/idYJ
http://p.tl/eYCs
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)