チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年4月6日
ダライ・ラマ法王、日本の被災者に義援金1千万円を送る/バタンで警察所に爆弾を投げ入れた容疑でチベット人逮捕
ダライ・ラマ法王は日本の被災者のために1千万円の義援金を送られた。
その他、日本在住のチベット人の寄付41万2千円。
グチュスン(元良心の囚人)の会がダラムサラで街頭募金をして集めた義援金22万9411円。
これらをまとめて数日前、東京代表部のツォコさんが日本赤十字に手渡されました。
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余分なお知らせを一つ:私に関することなので、ちと恥ずかしいが、、、明日7日の朝日新聞夕刊(夕刊がない地域は8日の朝刊)の「ニッポン 人・脈・記」という欄(おそらく第一面)で私の話(チベット、グチュスン、浜田省吾くんとの関係等)が掲載される予定。朝日新聞を購読されておられる方はちらっと見ておいて下さい。
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リタン(理塘)とバタン(巴塘)付近の地図(旅行人ノートより)
カム、リタン(ལི་ཐང་理塘)県の警察は3月22日、2008年以降指名手配されていた、バタン(འབའ་ཐང་巴塘)出身のチベット人ドカル(རྡོ་དཀར་)を逮捕した。この情報は亡命チベット議会議員ケルサン・ギェルツェン氏を介し現地からもたらされたもの。
2008年にバタンのガンリ・ルンウェー・リゴル(སྒང་རི་ལུང་པའི་རི་འགོར་)と呼ばれる聖地にチベット語と漢字で書かれたチベット独立を要求する幟が立てられているのが発見された。ドカルはこの件に関し容疑が掛けられたのを知ると、山に逃げ隠れた。
ケルサン・ギェルツェンは「ガンリ・ルンウェー・リゴル村で中国語が書けるチベット人は彼しかいなかったので、彼を犯人と断定したのだ」という。
2009年3月17日にはバタンのポグルシ(སྤོ་གུར་གཤིས་)郷に新しく建てられた警察署に爆弾が投げ込まれたという。建物にはまだ誰も勤務しておらず、負傷者もいなかった。この事件はラサで2008年3月14日に起こった大蜂起一周年の数日後に起こった。当局は別に特別の証拠が在った訳ではないが、ドカルの仕業と決めつけ、彼の指名手配を強化した。
ドカルの父親はアゴ・ツェリンといい。母親はアケルという。2人は離婚し、その後ドカルは母に連れられて北京に行き、そこで中国語を習ったという。
警察は彼の家族や親戚の家を定期的に捜査し、家を荒らし、「ドカルの逃亡を助けたら酷い目に遭わすぞ」と脅した。さらに「彼の罪はテンジン・デレック・リンポチェ(སྤྲུལ་སྐུ་བསྟན་འཛིན་བདེ་ལེགས་རིན་པོ་ཆེ་)と同じだ。死刑だ」とも言っていたという。
彼は長い間、奥深い山や森に身を隠していたが、3月22日、リタンの近くの遊牧民地区に親戚を訪ねに行く途中マジャタン(རྨ་བྱ་ཐང་)で発見され逮捕された。彼はすぐにバタンの警察に引き渡された。
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人のいない警察署での爆発が本当にはどのようなものであったのか?本当に彼が犯人なのか?何もはっきりしていない。
はっきりしている事は、彼を犯人に仕立て上げるために、彼が今激しい拷問に遭っているということだ。
参照:RFAチベット語版http://p.tl/1NMv
RFA 英語版 http://p.tl/yJBM
Phayu.com http://p.tl/nGPX
テンジン・デレック・リンポチェ解放キャンペーン:http://p.tl/Wxtq
http://p.tl/ANhH
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)