チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年4月4日
ジェクンド(玉樹)の人々千人以上が泊まり込みで中国政府に抗議
今回の東日本大震災においても今なお救援活動が十分に行われていない地区もあり、現地の不満は高まっている。もっとも、日本では不満を現したり、政府を批判しても、逮捕されるということはなく、抗議のデモを行っても、殴られたり、逮捕されるということはない。家が流されても、土地の所有権が取り上げられるということもない。
同じ大震災に見舞われたチベットのジェクンドでは一年経った今もテント暮らしの人が大勢いる。土地や畑が取り上げられる。抗議の声を上げれば、殴られ、逮捕される。
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4月4日付けTibet Timesチベット語版より。
http://p.tl/kMEy
「1万人以上が瓦礫の下で死んでしまった。何世代もかけて蓄えた財産も耕作地もお堂も全て地震に奪われた。今はもう生きていようがいまいが変わりはない。今すぐ殺してくれ」と年寄りたちは叫んだ。
現地から送られて来た情報によれば、4月1日、ジェクンド(ユシュル、ケグドཡུལ་ཤུལ་སྐྱེ་རྒུ་མདོ、玉樹)のチベット人千人以上が政府庁舎と関係機関の事務所に押し掛け、苦境を訴えるためのデモを行った。夕方には町の中心にあるケサル広場に集まり、様々な横断幕を掲げ抗議の声を上げた。その日から70過ぎの年寄りや地震により障害者となった者百人以上も加わり、広場に寝泊まりし始めた。
しかし、4日(3日の間違いか?)の夜10時頃、皆が夕食を取っていた時、突然武装警官隊と軍隊が千人以上現れ、集まっていた人々に襲いかかり、激しく撲打した。多くの人たちがその場で拘束され、人々は蹴散らされた。
4日(或は3日)午後11時に現地からネットを介して送られて来た文章には「4月1日朝9時からケグドのチベット人老若男女千人以上がケサル広場に集まり、号泣と共に地区政府に抗議の叫びを高く上げた。この時70歳を越えるお年寄りは杖をつき、去年の地震により身体障害者となった者たちは車椅子に乗り、横断幕を握りしめていた。その横断幕には『自分たちの土地は自分たちが自由にする権利がある。公正な決定を要求する。公正な法律に基づくべきだ。現状に則した現実的計画を望む。』等と書かれていた。
午後には地区の役人が現れ、人々を解散させるために、説教を垂れたが誰1人耳を貸す者はいなかった。次に北京から送られて来た再建委員会の役人が現れ「チベットのことを助けている共産党に感謝すべき事。特にジェクンドに対し政府が如何に膨大な援助をしているか。他の国で同様な災害が起こっても、政府は援助しないこと。他の国々と違って中国政府が如何に愛情深く被災者たちを扱っているか。等、長々と演説した。しかし、人々は、『災害の後、国に少しは期待したが、完全に裏切られた。』として耳貸さず、誰もそのような言葉を信じる者はいなかった。それどころか、年寄りたちは声をさらに高く上げ『1万人以上が瓦礫の下で死んでしまった。何世代もかけて蓄えた財産も耕作地もお堂も全て地震に奪われた。今はもう生きていようがいまいが変わりはない。今すぐ殺してくれ』と泣く者もいた」と書かれ、
更に続けて「去年の4・14地震は自然災害であり、これに対し苦情を唱える者は誰もいない。しかし、新しく就任した責任者やその法規、さらに再建都市計画には大きな問題がある。か弱い人々がその命を掛け苦労して作り上げて来た、畑や家々を、政府のものだとして、勝手に取り上げ、家族を失った人々が援助を要求しても、全く聞き入れられず、それどころか警官は彼らを打ち据え、脅迫し、武装警官隊はその銃口の元に人々を黙らせる。」と書かれている。
その他、「この地震をいい機会と、チベット人の土地を中国人が占領しようとしている。」とも述べられている。
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後記:RFAによれば衝突があったのは4月3日となっている。
http://p.tl/5uJ7
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)