チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月21日
ネチュンの神降ろし
早朝、夜明けと共に神降ろしが行われた。嘗ては世界中至る所で神降ろしが行われていたが、時代とともに神様の数が減ってきたらしい?。それでも、まだ医者のいない田舎ではアフリカでもアジアでも南アメリカでも治療目的を中心にシャーマンさんは活躍されている。特に我々を含めたモンゴリアンはシャーマンの伝統を長く保ち続けている。その中でもチベットを中心としたヒマラヤの奥地では今も実際大勢のシャーマンたちがいる。
そんなシャーマンの代表格がこのネチュンのシャーマン。とくにネチュンの神はチベットの国家と深く関わり、国と仏教を守り、国の運命に関わる神のお告げを歴代ダライ・ラマ法王等に伝えるという役目を負っている。
チベットにおけるシャーマンの歴史は仏教が導入される前のポン教の時代、或はそれ以前に遡ることができると思われるが、このネチュンに限って言えば、その歴史は一応パドマサンバヴァがインドからチベットに来てサムエ僧院の建立を助けた時に始まる(らしい)。彼はその時チベット土着の有力な神であるペハル・ギャルプを調服し、彼を今度はドルジェ・ダクデンという名前に変え、国(吐蛮)と仏法を守る(仏)神に仕立て上げた。ネチュンに憑依する神はこのドルジェ・ダクデンであるとされる。
このドルジェ・ダクデンに憑依されるネチュン・クテン(身基)は代々そのトゥルク(生まれ変わり)が担うことになっている。現在のクテンが何代目かはしらないが、亡命後の2代目であることは確かだ。
写真左は先代のネチュン・クテンである。彼は1947年に「虎の年1950年にチベットは非常な困難に遭遇するであろう」と予言したと言われている。51年には彼は病に倒れ1人で歩く事もできないほど衰弱した。59年3月17日、ダライ・ラマ法王に対し「今夜行くのだ!」と守護神のお告げを伝えたと言われている。
今年は法王が列席されていなかったが、伝統的には毎年チベットの正月3日に法王のために一年の吉凶を占う神託が行われることになっている。今日行われた神降ろしはデブン僧院ロセリン学堂の依頼によりこれから一年の吉凶の予言が行われたという話だ。吉はいいとして、凶の場合にはその対策も告げられるという。
儀式はお堂内に響き渡る、ドゥン(ロングホーン)やギャリン(チャルメラ)、シンバル等の大音響とともに始まる。しばらくしてクテンが現れ玉座に座る。この時はまだ普通の人だ。かなり長く不動の姿勢で瞑想状態に入る。しばらくして、回りの助けを借り衣装を纏う。この衣装自体3~40キロの重さがあるという。またしばらくすると、今度は半分後ろに倒れる。と、ほぼ同時に口から「シュ、シュ、シュ・・・」という声?を発しながら全身が震え始める。ここで頭に、これも30キロ以上あるとされる大きな冠が被らされる。
回りの僧侶が捕まえ再び座に座らされる。
その後、依頼に従った神託が言い渡される。
お裾分けとして、会場に押し掛けている人々は一人一人順番に壇上に上がってクテンから直接加持を受け、お土産にスンドゥ(お守りの赤い紐)や大麦を赤く染めたものを貰う。この時本堂に入りきれていなかった人たちがドアを押し開け殺到したので、これを阻止しようとする僧侶との間にちょっとした騒ぎが起こった。チベット人は本気でこのような守護神の存在やその加持力を信じているのでクテンから直接何か得たいと必死になったりするのだ。
本来仏教は神を否定することから始まったようなものだが、「空」というフィルターを一旦通すことにより、神を仏神と化し、取り入れ、方便として利用する体系を作り上げたのだ。
もっとも、法王は常に、僧院などでこのような守護神や護法尊をブッダの像より中心に置く事を諌められている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)