チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月20日
チベット中央(亡命)政府の首相・議員選挙が行われた
写真はダラムサラの投票所の1つであるツクラカン前に朝10時半頃現れた、次期首相最有力候補と目されるロプサン・センゲが投票を行うところ。
去年10月3日に行われた予備選の結果、上位6人が最終戦の指名を受けたが、その内3人は辞退した。残る3人の争い。有権者の総数は約8万人、予備選の投票率は61%。
首相候補3人の予備選の結果はロプサン・センゲ22489票、テンジン・テトン・ナムギェル12319票、タシ・ワンドゥ2101票。
ロプサン・センゲがテンジン・テトンに1万票ほどの差を付け1位。
写真右から、首相候補のロプサン・センゲ(43)、テンジン・テトン(62)、タシ・ワンドゥ(64)。
ロプサン・センゲは43歳という若さ。ハーバード大学で博士号を取り、今もハーバードの上級研究員。キレがよく弁も立つが経験不足との声あり。一方テンジン・テトンはアメリカ代表とか政府首相も経験しており、経験という点では上。タシ・ワンドゥも同じく政府大臣、代表を長く務めた人格者。
テトンとワンドゥはどちらもウツァン地区出身。経験も似ているとこから、票を食い合う可能性あり。
センゲはカム出身(お父さんがカムの人)。
会場で数10人になんちゃって出口調査を行ってみた。
ウツァンの人は大方テトンに、カムの人は大方センゲにという具合にそれそれ地縁を重視する傾向が強い。ではアムドはというとセンゲに投票したという人が多いようだった。
このおじいさん、岩佐監督が近々リリースされる予定の映画「チベットの少年オロ(仮題)」にも出てくるであろう、政治犯としてチベットの監獄に20年入れられていたという人。
出口調査の一環として、ちょっと話を聞いた。「誰に入れましたか?」「テトンさんだよ」
「理由は?」「経験だね。サンゲさんは確かに頭もよくてやり手のようだけど、何せ経験がない。突然政府に来て、回りとうまくやって行けるだろうか?インドともうまくやって行かないといけない。まずは外務大臣とかになって経験を積んだ後でもいいんじゃないかね。テトンさんには経験もあり、人柄もいい。だから入れたのだよ」とのこと。
センゲさん、この経験ということについてある討論会でこんなことを言ってる。
「経験重視ならオバマがアメリカの大統領になることはなかったであろう。インドの首相マンモハン・シンも大学教授だった。日本を見ろ、何十年も自民党という党が政権を担当していて、最近民主党が政権の座についた。民主党は政権を運営した経験のない者たちばかりだ。それでもやってる。そんなものだ」と。最後の例は如何なものか? だからね、、、なんて突っ込み入れたくなる人もおられるでしょうが。
議員の方の話。亡命チベット議会の定員は現在44人。
ウツァン/カム/アムド地区ごとに10議席。北米に2議席、ヨーロッパに2議席。僧侶・宗派議席として仏教4大宗派(ゲルク/ニンマ/サキャ/カギュ)にポン教を加えた5派に2議席ずつ。
これで44議席になる。
本来はさらにダライ・ラマ法王直接指名枠として3名が加えられる規定になっているが、前回法王は誰も指名されなかった。
議員の選挙方法。
有権者は登録の時、自分の出身地としてウツァンかカムかアムドのどれかを選択する。最近亡命した人はともかく、インドなどで生まれた人の場合は原則父親の出身地に従うことになっている。
例えばウツァンの人はウツァン出身の最終候補者20人の内10人まで選べる。1人だけ選んでもいい。もしも10人いっぱい選ぶ時にはその内2人は必ず女性候補を入れないといけないという規定がある。
これはちょっとした女性優遇策。逆に10人すべて女性候補に入れてもよい。実際には10人はいないが。
宗派票は僧・尼の場合は所属する僧院の宗派に従い自分の宗派の候補者の中から2人を選ぶ。俗人の場合は夫々の宗派に従う。
ここの選挙で特徴的なのは、日本のように街頭演説などの選挙活動を行う人がいないという事だ。一般に候補者は人に推薦されて立候補させられた人という感覚であり、自分から「私こそが!」と言って立つものではないとい風潮がある。今までの実績と人徳と風評?の勝負となる。
今日午後4時半から「選挙委員会の記者会見」が開かれた。
ネパール以外各地、すべて順調に行われているとのこと。
前回、警官に投票箱を無理矢理奪われたネパールは、今回も今の所、政府は投票を許さないという姿勢を見せている。
これに対し、委員会は「現在ネパール政府に投票を許可するよう要請しているところだ」と述べた。
投票結果は4月27日に発表されるとのこと。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)