チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月19日
今日の法王/ジャータカの教え、政治的引退について
今日朝8時、ダライ・ラマ法王はいつものツクラカン本堂の中ではなく、ツクラカン前の広場に面する壇上の玉座に座られた。広場には数千人の聴衆が集まっていた。今日は正月から始まったモンラム・チェンモ(大祈祷祭)の最後日に当たる。この日には毎年法王はブッダの前世談(ジャータカ)を少しずつ講義されるしきたりになっている。
今日はジャータカに入る前に法王はたっぷりと仏教全般の説明をされ、さらに法王の悲願である政治的引退について話された。
また、法王は今日も日本の地震、津波について言及され、犠牲者の冥福と残された被災者のために祈り続けるようにと述べられた。さらに、「日本では今、原発の問題が心配されているが、これは少なからず、人が作り出した問題でもある」と付け足された。
困難な状況の中にある被災地はじめ、関東、東北の人たちの中には法王ファンもおられるであろう。そんな人たちは法王のお顔を見る事で少しは慰められるのではないかと思い、今日撮った法王の写真を以下沢山載せる。
法王、「仏教では心の有り様をもっとも重要視する。人は仏教を実行しようと布施をしたり、コルラをしたり、五体投地したり、座禅したりする。これは身による行いだ。マントラを唱えたり、お経を唱えたりするのは口の行いだ。このようなことを行うことは良い事だが、それだけで、それが仏教の行になっているか、善なる行為であるかどうかは判断できない。仏教の行になるには、その人が仏教を知っていることが前提だ。動機が正しくなければ、善なる行為と言えない事もあろう。だから、そのような行為を行う前にまず仏教を勉強し、仏教と現象に対する正しい理解を得るようにしなければならない。最終的には最勝の動機である菩提心と共に行わねばならない」と。
左の写真で法王は右手でVサインされている。
でも、表情を見ても分るようにこれはVサインではなく、「2つ」と言われているところ。「2つ」とは「他人を利すること」と「自分を利すること」。菩提心(他の全ての有情を利するために、自分が仏になろうと決心する心)は他者を利益し、同時に(間接的に)自分も利益することができる、と説かれているところ。
昨日、議会で法王の引退要請に関し、票決が行われた。アメリカから来た1人の議員以外、その他全ての議員がこれに反対票を投じたという。
こんなこともあって、法王は今日、再びかなり長く自分が政治的完全引退を決意した経緯、背景、理由などについて説明された。
まだ、チベットにいた頃、官吏が不当に市民を扱うことを目撃した話。その頃から上に立つ人はコネでなく選挙で選ばれるべきだと感じていたこと。亡命した後、ただちに議会を開いたこと。徐々に完全な民主化に向けて政府を導いて来たこと。2001年以降首相が直接選挙で選ばれるようになった後には、できるだけ首相と議会が決定したことに口を出さないようにしていたこと等を話され、「21世紀になった今、宗教的リーダーや王様が国を治めるというやり方は、時代遅れだ」と述べられ、「誰かに強制的に下ろされる前に、完全な民主主義を実現するため、自分で進んで下りることを決心したのだ」と話された。
「政教一致のダライ・ラマ制度は1642年ダライ・ラマ5世の時から始まったものだ。その前のダライ・ラマ1世、2世、3世、4世の時にはダライ・ラマは宗教的なリーダーでしかなかった。私は今後、その当時のダライ・ラマに還り、宗教的リーダーとして、これから過ごすつもりだ。ガンデン・ポタンそのものが無くなる訳じゃない。政治抜きのガンデン・ポタンになるだけだ。
だからといって、これは私がチベットのことを考えるのが嫌になり、チベットに対する責任を放棄するという話ではない。私はアムド生まれのチベット人だ。チベット人として死ぬまでチベットのために責任をもって働くつもりだ。政治から身を引いたとしても、もしも、大事な相談ごとがあるときにはいつでも喜んで政府の相談に乗り、意見を言うつもりだ。
私の中道路線を指示するいう考えにも変わりはない。
中国政府は常に、『チベットの者たちはダライ・ラマにそそのかされている。ダライ・ラマが分裂を先導している』と言っているが、これからはこの言葉もさらに根拠のないものとなろう。チベット自治区の指導者たちも我々の民主主義を少しは見習うといいんじゃないか。
今日も沢山チベットから来た人たちが会場に来られている。チベットにこれから帰る人たちは回りのみんなに伝えるといい。心配することは何も無いと。ダライ・ラマは決してチベットの人たちを見捨てることはない。決して希望を失ってはならない」と。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)