チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月18日
続・抗議の焼身自殺/追悼集会
昨日お知らせした、僧プンツォの焼身自殺に関する続報が入っている。
一昨日の時点では彼の死の状況について、様々な情報があり、断定できない部分も多かった。昨日、複数の内地からの情報と共に彼の写真2枚が送られて来た。左の写真がその内の1枚。昨日は彼の年齢は21歳と発表されていたが、再確認された後、年齢は20歳と訂正された。http://p.tl/2Ap8
TCHRDその他によると、彼は昨日の朝3時に運び込まれた病院で死亡したという。
警察が、運び去ろうとしたところを、僧侶、市民が阻止し、一旦キルティ僧院内に運び込まれ、その後、病院に運ばれた。ある情報によれば、病院側は彼の治療を直ちに初めず、治療するには当局の許可が必要だと言った。そこで、仲間の僧侶が当局に掛け合い許可を受けた。しかし「その手続きに手間取り、結局手遅れとなったのだ」と伝えた人がいる。
また、亡骸を引き取ろうとした家族に対し、当局はすぐにはそれを許さず、「中国の高官が町を通過する予定だから、その高官が通過するまで死体は引き渡せない。通過した後に渡す」と言い渡されたという。それは17日の午後遅くまで続いた。http://p.tl/rX3J
目撃者の話によれば、プンツォは炎に包まれながらも「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王のチベットへの帰還を!ダライ・ラマ法王が一万年生きられますように!」と叫んだという。また、「彼を見つけた警官たちは彼に向かってレンガを投げ、倒し、火を消した後も、彼をこん棒などで殴り付けていた」という。
昨日朝から再びキルティ僧院の僧侶約1000人が僧院の前に集まり、逮捕された僧侶たちの解放を要求するために県庁舎に向かい行進を始めようとしたが、市民たちが、「今日またデモを行うと、当局が無差別発砲する危険性が高い」としてそれをとどまらせたという。
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僧侶プンツォの焼身自殺のニュースが広まったダラムサラでは昨日夕方6時半より、彼の冥福を祈り、ンガバの人々との連帯を示すためのキャンドル・ライト・ビジルが行われた。
行進の後ツクラカンで集会が行われ6~700人のチベット人や外人が彼のために祈りを捧げた。
集会ではTYC(チベット青年会議)議長のツェワン・リクジンが壇上に立ち、「僧プンツォはチベットの自由のために己の身を灯明として捧げたのだ。彼の究極の利他心を無駄にしてはならない。彼のこの行動は、どれほどチベット人たちが追い詰められているかを知らせるものだ。中国の不当な侵略に対する抵抗運動を決して諦めてはならない」と述べた。
また、これを主催した政府外5団体は共同で「チベット人に対する中国政府の非人間的扱いを避難する」声明を発表している。
これまでにチベット内地で抗議の焼身自殺を行った人は彼で2人目だが、その結果死亡したケースはこれが初めてだ。その他中国の政策に抗議して自殺したケースは沢山ある。ウーセルさんは17日のブログにそのような自殺のケースを列挙されている。
その他の参照記事:
New York Times:http://p.tl/Y3nK
RFA英語版:http://p.tl/ot_G
チベット語版:http://p.tl/j4f2
phayul:http://p.tl/ITTH
ウーセルブログ:http://p.tl/VES0
集会の後、ダラムサラにあるキルティ僧院の僧侶たちは「英雄プンツォ!チベットに自由を!中国人はチベットから出て行け!法王に長寿を!」等、拳を振り上げ声を張り上げていた。そのまま道に出て道路を塞ぎ、警官に蹴散らされるまで、長い間大勢の僧侶や町の人々が叫び続けていた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)