チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月16日
中国の反体制活動家袁紅冰氏「パンチェン・ラマ10世は胡錦濤により暗殺された」と述べる
ダラムサラを訪問中の著名な中国の反体制活動家袁紅冰氏(Yuan Hong Bing、内モンゴル生まれ、在オーストラリア)は今日記者会見を開き、「胡錦濤主席は89年にパンチェン・ラマ10世の暗殺を直接指示した」と述べた。
参考3月16日phayul.com(写真もphayulより) http://p.tl/x7Kj
パンチェン・ラマ10世は1989年1月28日、自身の僧院であるシガツェのタシルンポ僧院で「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を支払った。2度と繰り返してはならない一つの過ち」と自説を述べた。これは中国政府の用意した演説原稿を無視した演説であった。その発言のわずか5日後、寝室で「心筋梗塞」で倒れ、約15時間後に死去したとされる。
「明らかにパンチェン・ラマは毒殺されたのだ。当時チベット自治区の共産党書記であった胡錦濤主席がこの殺人の背後にいる罪人であることは確かだ」と袁紅冰氏は語った。
袁氏によればパンチェン・ラマを殺害した理由は、「彼がダライ・ラマ法王をチベットに迎え入れたいという意思を表明したからだ」という。間もなく出版せれる彼の新書「To the Summit of Firmament – Crossing the Himalayas(天空の頂きヘーヒマラヤを越えて)
の中でパンチェン・ラマの謎の死の背後にある真実を初めて暴いていると袁氏はいう。彼は今オーストラリアからの在外中国人使節団の一員としてダラムサラを訪問中である。
袁氏は胡錦濤主席がチベット人に対し親切な平和主義者である可能性を完全に否定する。「誰かが胡錦濤をチベット人に対し親切な、平和主義者であるかのように信じさせようとしているが、これはまたもう一つの嘘だ」と彼はいう。されに、「胡錦濤はチベットの人々の血と骨と涙の上に立つことにより中国共産党のトップにのし上がったのだ。1989年3月、胡錦濤はヘルメットを被り、手には自動小銃を持ち、ラサの街角で平和的抗議活動を行う僧侶たちを殺すよう直接兵士たちに命令した」と付け加えた。
袁紅冰氏は署名な反体制派中国人であると共に、作家、哲学者、リベラルな法学者でもある。彼は1994年、「社会主義システムの転覆を企てた」として6ヶ月間獄に繋がれた。その後オーストラリアに政治亡命。袁氏は中国政府を批判する多くの著書を発表している。「Freedom in the sunset(日没の中の自由)」は文化大革命中の凄惨なモンゴルの状況について書かれている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)