チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月10日
3月10日チベット蜂起記念日
今日3月10日はチベット人にとって忘れがたい、一年で一番重要な日。
ダライ・ラマ法王とそれに続き10万人が祖国を捨て、亡命せざるを得なくなるきっかけとなった日。
52年前の今日、中国の侵略、圧政に抗議し、ラサ市民が一斉蜂起した日。
侵略者に対する抵抗の心を忘れず、心に新たな決心を喚起する日。
中国によるチベット侵略以来、その犠牲となり命を落とした100万人を越える同胞の冥福を祈り、今も圧政の下に苦しむ同胞への強い連帯の心を示す日。
このダラムサラでは毎年、この日、町のチベット人たちがツクラカン前の広場に集まり、法王の「3月10日声明」に耳傾け、その後中国政府のチベット侵略と今の政策に対する抗議の意を示すために平和行進を行う。
式典は法王入場により始まり、チベット国歌斉唱、犠牲者に対する黙祷、大臣室声明、議会声明、法王声明と続く。
一枚目の写真は国家斉唱時の法王。
国家斉唱の時には手を合わせる人が多い。中央前列にはTIPA(チベット伝統歌舞団)が控える。
大臣室声明を読み上げるサムドン・リンポチェ首相。
この日、私はリンポチェが言葉につまり涙ぐむのを初めて見た。
それはダライ・ラマ法王に引退なさりませんように、と懇願する箇所。
「雪山を守る、観音菩薩の化身であられるダライ・ラマ法王はチベットと特別の関係にあられる。この関係を切る事など決してお考えになられませんように」と。
ネチュン・クテン。ネチュンの神下ろしを担当するご本人。本来なら正月2日にこの神下ろしが行われるはずだが、今年はスケジュールの関係で20日前後に行われるという。
ネチュン・クテンもこのリンポチェの言葉を聞いたとき悲しそうな顔をされていた。
やはり、チベット人にとって「ダライ・ラマ引退」という話には、我々には計り知れれぬ感慨があり、寂しさを伴う事のようだ。
式典には10人ほどの中国人の賓客が列席されていた。法王は声明の前にこれらの中国人に謝辞を述べられ「チベットの問題はそもそも中国からもたらされたものだ。だから中国人に解決してもらうのが筋だ。最近ますます、チベットの問題に特別の関心を抱いて下さる中国の知識人たちが増えていることは喜ばしく、希望を与えてくれる」とコメントされた。
声明を読み終えられた法王。
今日の法王声明はすでに全文日本語に訳されている。
以下参照:http://p.tl/kwHrhttp://p.tl/kwHr
引退に付いて法王は声明の中で、「私が子供の頃から抱き続けていた願いのひとつは、チベットの政治体制と社会体制の改革を行なうことだった」とし、「1960年代から『チベット人には、チベット人民によって選挙で選ばれ、私が権限を移譲することのできるリーダーが必要である』と繰り返し主張してきた。今、これを実行に移す時が来たと感じる。まもなく2011年3月14日から始まる第14回亡命チベット議会第11期において、亡命チベット人憲章の改正を正式に発議し、選挙で選ばれたリーダーに公的権限を移譲するという私の決意を反映させてもらうつもりだ」と述べられている。
この「法王引退」について町の人々は実際どう思っているのか?
何人かに聞いてみた。
59年、14歳の時亡命したという男性「本当に法王が引退されたら状況は難しくなると思う。今、内外のチベット人が団結できているのは法王が亡命政府の代表だからだ。法王がここの政府の代表で無くなったならば、中にいるチベット人たちはここの政府を信用せず、相手にしなくなると思う。内外の団結も薄れてしまうことだろう。だから、私は引退されない方がいいと思う」
ドゥンドゥップ・ワンチェンの妻ラモ・ツォに聞いてみた。「法王はお年だし、少しでもそれで楽になられるなら引退されてもいいと思う。法王は何度も引退してもチベットに対する責任は最後まで決して放棄しないとおっしゃっている。第一法王もおっしゃっているように、チベットの問題はチベット人一人一人が背負い、考え、行動すべきものであって、すべてを法王に任せるべきではないと思う」と言うのが彼女の意見。
若い僧侶に聞いてみた。最近アムドから亡命してきたばかりだという。
「法王は先のことを考えて自分たちのためにそうおっしゃっているのだと思う。お年だし、法王はもっと瞑想等のために時間を使いたいと思い始めておられるのだと思う。それでいいと思う。何度もチベットを捨てるのじゃない、最後の一息まで責任を果たすとおっしゃっている。チベットの中の人々も最初はショックでも、何れちゃんと理解できるようになると思う」とのこと。
集会の後デモが始まった。僧侶を先頭に町のチベット人のほぼ全員が参加したと思われる。
デモに最後まで付き合いたかったが、サムドン・リンポチェの記者会見がすぐにあるというので、その方にも参加せねばと、デモ出始めの写真を撮ってすぐツクラカンに戻った。
記者会見でも質問はほぼ全て「法王引退」に関するものばかりだった。
何だか、本来のチベット問題から離れてしまっているようで、ちと寂しさを感じた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)