チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年3月7日
ダラムサラのお正月2日と3日
昨日、今日、チベット暦のお正月2日と3日に撮った写真をいくつか紹介する。
昨日は獄中にあるドゥンドゥップ・ワンチェン氏の家族の家に寄った。
今日はラギェリのサンスーを見に行った。
写真は今日のを最初に
一枚目:正月3日目には、チベット人たちが「サンスー」と呼ぶ、ツァンパとお香を仏神に供養する儀式が行われる。
土地毎に決められた場所に集まり、ツァンパを空に振り上げ、大きな香炉にお香を炊く。
今日は、ラサを初めチベット本土でも、至る所で香炉から大きな煙が上がったと思われる。
通常この儀式には新年を祝う歌や踊りが付きもの。人々は集まったついでに歌い、踊る。
ダラムサラでもラギェリと呼ばれる、広場に朝から着飾った大勢の人が集まり、サンスーの後踊っていた。
100人近い人が肩を組合い、一つの輪になり、コルシェと呼ばれるウツァンの伝統舞踊を楽しんでいた。
写真はコルシェを楽しむお年寄りたち。
ダラムサラのラギェリ(神々の勝利の丘)はダライ・ラマ法王のお宅のすぐ裏にあり、ここはタルチョを掲げる場所ともなっている。新年にはその年の幸運を祈り、新しいタルチョをここに掛けるという人が多い。
で、ミス・ルンタのあやちゃんも彼氏を従え何を祈るためか、新しいタルチョ掛けにやって来た。
タルチョを掛けた後は、もう一つの幸運を呼ぶための遊び/儀式/風習である、ルンタ投げを行う。
中央にルンタ(風の馬)が描かれ、回りに様々な祈りのマントラが書かれた四角い紙切れを、風が吹き上げる丘の上などから空に勢いよく、「ケケ、ソソ、ラギェロー!」のかけ声と共に投げ上げる。
風に乗った幸運の馬が願いを天に届けてくれる、という心積もりだ。
風はいまいち強くなく、舞い上がり方はぼちぼちだったが、でも、ま、綺麗だった。
あやちゃんが従える5人の着飾ったアムド・ポサ(若者)がはしゃいでた。
2008年に「ジクデル(恐怖を乗り越えて)」と題されたドキュメンタリーフィルムを制作したとして6年の刑を受け服役中のドゥンドゥップ・ワンチェン。彼は自分が取材旅行に出る前に家族全員をダラムサラに亡命させていた。
妻ラモ・ツォは毎日パンを作り、路上でそれを売り、残された家族を養っている。
写真は彼の写真を前に、彼が好きなものを並べて正月を一緒に祝おうとしているところ。
ピンクの器の中にはツァンパとアムドのヤクバターと砂糖が入ってる。カップにはバターたっぷりのチベットティー。
娘2人、ダドゥンとラモ・ドルマがお父さんのためにロサの歌を歌う。
中国政府はチベットのロサを前に「厳打キャンペーン」を開始し、厳戒態勢を敷き、取り締まりを強化している。
「藏暦新年(中国語のチベット暦新年)」を敏感詞(政治的に規制されている単語)に指定。ネットなどでこの言葉を使用しただけで逮捕の対象としている。
ウーセルさんはツイッターで「テレビで自治区書記長の張慶黎が『チベット人民が新年を迎え、どの家も五星紅旗を掲げていて感動した』と言った。掲げないと軽くて罰金、重くて逮捕となぜ言わない?定住住宅は毛鄧江胡のポスターを張る必要がある。張らないと容疑者だ。」と現状を嘆いておられた。
いつの日にか、チベットに心から喜べる自由なロサが来ることを祈る。
以下、ラモ・ツォの日本人へのメッセージ:
「日本の友人たち、ロサ・タシデレ。これまで夫であるドゥンドゥップ解放のために尽力して下さり、本当にありがとう。『ジクデル』の映写会を何度も開いて下さったと聞いています。これからもどうか、一日も早く彼が解放されるよう、手伝ってほしいと頼みます」
「獄中のドゥンドゥップ・ワンチェン氏に、励ましの手紙を送る」等、彼を励まし、解放させるために、今すぐできる様々なアクションがあります。以下のWebにアクセスお願いします。
http://freetibet.holy.jp/tag/dhondup-wangchen/
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)